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サムライレポート

アフリカ、ルワンダ発フェアトレード事業『Ruise B』の現地代表、三戸 優理氏 ~ルワンダ人とゼロから創る新しいビジネス~

2011/12/12  

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前回のサムライレポートでご紹介したルワンダの三戸俊和さん

実は三戸俊和さんのパートナーである三戸優理さんもパワフルな方でしたので、
今回はサムライバックパッカープロジェクト始まって以来のご夫妻、それぞれレポートということに!

優理さんも三戸俊和さんと同じく、環境分野の専門家としてルワンダにて活動中の方です。

バナナ豊富なルワンダにて、バナナ繊維事業のプロジェクトを行なっていたり、
フェアトレード事業である『Ruise B』(ルイズビィ)にも現地代表として取り組んでいられます。

実は、JETROによるアフリカでのフェアトレード事業の報告会が旅立つ前に行われていて、
そこで初めてルイズビィのことを知りました。JETROがアフリカとのフェアトレード事業を支援していたようです。

旅立つ前でしたので、旅ルートも曖昧でしたが、機会があればルワンダで現地の方にお逢いできたらと思っていました。
願えば叶うものでして・・・いや、願うだけじゃ駄目ですね。ルワンダまで行ったので叶いました。
行動力、これだけが僕の取り柄です。…と、僕の話はどうでもいいですね。

ルワンダの首都キガリでお逢いした優理さんはいつも笑顔を絶やさない素敵な方。
そんな優理さんにご回答を頂いているので、ご紹介します。

自己紹介とこれまでの歩みについて教えてください。


東京都練馬区生まれの東京育ちです。

団塊ジュニアの私たちの世代は、
振り返ると大学入学まで、常に試験というプレッシャーに追われていた
ような気がします。

入学試験にことごとく失敗し、
こうした試験では常に落後者だった私は、一時期かなり自信を喪失していた時期がありました。
が、アルバイトや大学時代に知り合った社会人との交流などを通じて、
社会との接点がもてるようになると、自分も何か社会に役立てることがあるかなと思えてきました。

試験はだめでも、面接ではまず落ちたことがない強みを活かし(?)、
運よく通った環境系の政府系法人に就職しました。

5年ほど勤めていましたが、中でも自分の中でやりがいがあったと思えたのが、
福島原発近郊での政府などが関与して建設した産業廃棄物処理施設の設置事業の進行管理でした。

事業の資金規模も大きく、現地の公共セクターの人や地元の技術者など、
様々な人とのやりとりを通じて進めるというプロセスも勉強になりました。
その頃、環境共生型工業団地設置など産業と環境が共存できる方法についても関心を高めていました。

夫と結婚後、夫とともに同じカナダの大学院に留学
環境共生型の工業団地モデルの研究や、持続可能な地域経済発展の手法などについて調査研究を行いました。

日本に帰国後、環境負荷削減を上流(原料調達)から行うための産業界を中心とした
グリーン購入の普及に関する国際的な連携、ネットワーク作り
に携わりました。

その後、中小企業の環境支援等を行うための環境コンサルタントの資格を取得後、
NTTドコモの統合型環境マネジメント体制づくりの側面支援も行いました。

環境以外の分野では、
1年間少々、在住外国人のためのITを使ったエンパワーメントに関わるマイクロソフトの社会貢献プロジェクト実施のコーディネーターをやったこともあり、
日本社会を労働力という形で支えている人たちの実情を知るとともに、
彼らの労働状況の改善や、地域社会との接点の向上に役立てられるような間接支援を行いました

2007年3月には、
夫が国連開発計画(UNDP)のルワンダ事務所でのポジションを確保し赴任したため、
夫の赴任4ヶ月後の2007年7月3日のルワンダの独立記念日の直前にルワンダに移住しました。

ルワンダに赴任する前、在日ルワンダ大使などとも会合を持ち、
求められているプロジェクトなどを聞き、ルワンダに行って始めることを考えていました。

まずは、自分の環境分野での専門性を活かし、環境プロジェクトを立ち上げるべく、
植林とバイオ燃料のプロジェクトの実証実験を全国7箇所で開始
しました。
しかし、日本の確立した商慣習とは全く違う時間感覚や約束の考え方にかなり戸惑い、
一緒にやっていけるパートナー探しに苦労しました。

また2008年の5月頃から、
ルワンダのバスケットを輸入したいと問い合わせをしてくださった
静岡市の小澤里恵さんと一緒に新会社RuiseBを立ち上げ、
2009年4月キガリ市と16の生産者組合と覚書を結び、ルワンダのバスケットの輸入事業を開始しました。

同じ頃、バナナ収穫後の幹からとれる繊維から工芸品や布地をつくるプロジェクト
2008年10月、多摩美術大学のバナナテキスタイルプロジェクトチームのルワンダ訪問によるプロジェクトの紹介をきっかけに、
政府、地元繊維会社、科学技術大学のイニシアティブで発足。
その後、ルワンダの労働力開発庁がプロジェクトのコーディネーションをやる役割となり、
自分がそのコーディネーター役を担うことになりました。

現在の活動内容・仕事内容(Ruise B等)について詳しく教えてください。

ルワンダの伝統工芸品であるバスケット、
及び嫁入り道具として新婦が結婚式の際に持たされるアガセチェ(蓋付バスケット)を中心に日本に輸出をするコーディネートを行っています。


日本からのオーダーに基づいて、16の生産者組合約250名がバスケット等を生産し、
約2週間後には、生産されたものの品質をチェックし、
品質基準に合っているかなどを確認の上、買い上げ品を確定
しています。
商品がそろった時点で、生産証明書や輸出資格証明書等をこちらで準備した後、
輸出の手続きを輸出代行業者に委託し輸出を行います。

また、バナナ収穫後の幹からとれるバナナ繊維をいかした工芸品や布地づくりを通じて、
バナナ工芸品に携わる女性達の収入向上につなげるバナナ繊維プロジェクトのコーディネーション
や、
個人で投資をして、まだルワンダでは生産実績がないリンゴの栽培なども行っています。 

Ruise Bの活動で、ルワンダの作り手の皆さんのクオリティや期限等の管理面において、工夫されていることはありますか?

ビジネスを始めたばかりの頃は、
オーダーをしても、規格をしたサイズや色、仕上がりにかなりばらつきがあり、
基準をどう守ってもらうかに苦心
しました。

織り子の女性達の組合を1つずつ周り、
良いバスケットのサンプルと悪いサンプルを比較してどう違うのかを示すと共に、
女性達を集めたセミナーも開催し、日本市場の特徴などを説明し、
ビジネスを通じて一緒に汗を流しましょうと呼びかけることにより、女性達も真剣になりました。

もともとこのビジネスを始める前は、バスケットを作っても売り先がなかったので、
織り子の女性達は、最初は本当に売れるのかと半信半疑
でした。

しかし、ビジネスを開始してみると、
実際にオーダーが継続していく中で彼女たちの収入が上がり、
生活が少しずつ改善できるのが彼女たちにも実感
できるようになった結果、
女性達の自信につながっていくとともに、次第に商品の均一性も向上
しました。

このビジネスの確立にあたり、JETROが支援してくれたのは大変大きいものでした。
特に、JETROの支援を通じて作成されたバスケットの制作ガイドブックは、
織り子の女性達一人ひとりが細かい基準をヴィジュアルで確認できる為、
女性達に好評で、品質向上に大いに役立っています。

海外に渡った理由やキッカケを教えて下さい。

海外留学の経験はあったものの、アフリカの地に住み働こうとは、
夫に相談されるまで考えてもみなかったのが正直なところ
でした。

なので、夫がルワンダに赴任が決まってから、
ルワンダに関する映画「ホテル・ルワンダ」やアフリカ関連の映画を見て、想像を膨らませましたが、
見るとかえって、どんな生活になるんだろうと不安がわいてきました。

幸い、2007年3月に夫が先に赴任してから、ケニアで開かれた会議に参加することがあったので、
ルワンダにも立ち寄って見に行って様子を伺いました。

少々どきどきしながら歩きまわってみると小ぎれいで、
ルワンダの土地は千の丘と知られるように、
首都キガリでも丘の連なりが見える素朴な街の風景が広がっていて、子供たちの笑顔が明るいのが印象的
でした。

治安も夫から聞く限り良さそうでしたし、
ちょっと街を覗いただけですが、何やら不安がだいぶ取り除かれました。

不安がほぼなくなったので、
そこからは、自分ができることを見つけて頑張ってみようという意気込みで、
ルワンダに移住し、今まできました。

結果として飛び込んでみて、自分でプロジェクトを始めてみたことで、
いろいろな人のネットワークがルワンダ及び日本に広がり、今の仕事につながった
んだと思います。

海外で働くという志向を元々お持ちでしたか?

海外留学をしましたが、帰国後は日本で働いていましたし、
できるだけ専門分野を活かした形で、海外との接点を持つ仕事、
できれば独立したいとは思っていましたが、職場として特段強い海外志向があったわけでもありませんでした。

ルワンダ(アフリカ)でのフェアトレードの可能性についていかが感じてらっしゃいますか?

RuiseBの商品は、費やした時間や製作の困難度などを考慮して支払いをしている点で、
フェアトレード的な要素をもっているかと思います。

しかし、ルワンダと日本は距離的にかなり離れていることから、
商品の輸送にかかるコストがかなりかかるため、ビジネスとしてやっていくには、
商品の付加価値を高めて高級品として売っていくなど、日本での独自の戦略が必要です。

アフリカ→貧しい→かわいそうだ→なんとか買ってあげよう、
というようなアプローチでは、日本での販売に限界が出てくると思います。

つまり商品そのものに魅力があるものでないと、
日本のような消費者の目が厳しい市場では、継続して売っていくことは困難です。

そのため、日本の市場に適う高品質の商品づくりに徹し、
それを日本のデパートなどの高級商品を扱う場で、
他の商品ときちんと勝負をして売れるようにすることが大切だと考えています。

その上で、適正な製作コストをルワンダの生産者に払い、
結果としてフェアなトレードを行う必要があると思います。

仕事面の他、ルワンダと日本の違いをどういった部分で感じてらっしゃいますか?

国として、特に独立後の歴史がまだ浅いですから、
市民の権利、政治参加、表現の自由など、
日本の憲法で規定されているような内容が保障されているとはいえません。

国民が自らの手で国を作るための土台づくりはまだまだこれからといった感じがします。
そのための教育が求められていると思います。

言語の壁以外に、ルワンダにきてから立ちはだかった困難はありますか?

時間感覚、約束の遵守など、
日本で当たり前のことがなかなか守られないことなどがありますね。

この2点に関することで、最初の1年は特にいろいろ苦労しました。
政府に関わる仕事は、特に事業進行にかかる時間のペースが遅く、
事業の実施をするのに内部での承認手続き、調達手続き等で
1年かかって、ようやくというのもざらにあります。

例えば、
バナナの繊維を活かしたテキスタイルプロジェクトなどは、
政府機関等が関わって進めているため、2段階の研修をやったものの、3年近くたった現在も、
まだ大学の研究機関に導入する予定となっている研究機材が導入できない状態が続いています。

海外(ルワンダ)で働くこと、生活することの魅力について教えて下さい。

海外で働くことの魅力は、
日本での経験や知見を活かして、それを海外で応用したり、適用したりできること。
日本の常識とは違ったアプローチで物事を進めることができることでしょうか。

特にルワンダは、1994年のジェノサイドで国が荒廃した悲劇的な歴史を持っていますが、
現大統領のリーダーシップの下、著しい経済発展の途中にあります。

海外にいて、日本の戦後を今経験しているような部分もあり、
同じ時代にいながらもタイムスリップしているような感覚が不思議なところです。

例えば白物家電など、まだまだ首都キガリの富裕層しか普及しておらず、
こうしたものは、農村地域には皆無です。
調理道具は、かまどか炭を使う炭火コンロが主流です。

ルワンダはアフリカの中でも、かなり治安がいい方ですが、
外国人にとってこうした国で生活をするのは決して安上がりでなく、
警備をつけたり、安全な地域に住まなければならないので、かなり高くつきます。
なので、どこかに雇用されるか、自分で安定した収入を確保しないと生活はなかなか大変です。

国の制度が未整備なところで、ビジネスをやっていくのは難しいところもありますが、
現地の人たちと一緒に一から立ち上げ、新しいものを作り出していける面白さがあるかと思います。
またルワンダの商品を日本市場とつなげることで、日本とルワンダの懸け橋の役割も担えます。

また、海外にいるとどこでもそうですが、日本という国を客観的に見られるようになります。
特に日本人にとってアフリカは遠い国で情報がほとんど入ってきません。
なので、自分たちがメディアの役割を担い、情報発信をしていくことが、
日本で得られる情報とのギャップを埋めるのに重要
だなと感じています。

今後の予定や将来の夢(目標)について教えてください。

今まで個人的にやってきた事業を本格化し、
ビジネスとして持続性のあるものにするために会社を立ち上げました。

現在携わっているビジネスを継続性のあるものにするために、
ルワンダ国内においても付加価値商品を販売していくこと。

また、ルワンダでとれる潜在性がある素材(ex.バナナ繊維)を活かした新商品開発及び販売をしていくこと。

ビジネスを通じて、様々な困難な状況にある女性や若者の自立支援につながることをやっていき、
お互いがハッピーになれること
をいろいろ実現したいです。

その他、地域資源を活かした地域経済発展につながる農業やツーリズムに関連するプロジェクトの企画、実施なども行っていきたいと思います。

最後に、日本の若者にメッセージをお願いします。

自分の人生において、
アフリカに住んで働くという機会があるとは夢にも思っていなかった私がこのルワンダに来て、
ルワンダ人とともに一緒に楽しみながら汗を流して働いています。

こちらの人たちは、男女を問わず、笑顔が美しく、子供はとても純朴です。
人々の笑顔に触れられるだけでも幸せを感じられます。

日本で働くにせよ、海外で働くにせよ、
何か面白い、やりがいを感じられることを見つけることが
自分の人生を豊かすることにつながる
のではないかと思います。

そうした何かを見つけるのに、
海外でボランティアをやってみたり、インターンシップをしてみたり、旅をしたりするのは、
いい方法ではないかと思います。
(私のところでもインターンは歓迎ですので、興味のある学生さんは是非ご連絡ください。)

もし、アフリカで働いてみたいという希望があるのなら、
来る前に何か専門性を身につけることをお勧めします。

アフリカの国々は、援助に頼っているところがまだまだ多いですが、
先進国からきた人たちには、足りない分野を強化するために、高度な知見や経験が求められることが多い
です。

ですから、例えば、日本などで社会人としてそれなりに経験を積んでからの方が、
アフリカに来てからできることがいろいろある
と思いますし、
それを自分で見つけ出して、現地の人と一緒に進めていくことができると思います。

アフリカは、まだ男尊女卑の傾向が強いので、
若い女性はなかなか相手にしてもらえないという課題
もありますが、
専門性を持って、組織のできるだけ上の人と親しくなり、
そういう人たちを味方につけながら進めていく工夫も必要
です。

こちらのルワンダでの生活やこちらの活動状況については、ブログで紹介させていただいています。
http://blog.mitoyuri.com/

以上、三戸優理さんからのご回答となります。

ハッキリ言えば、ルワンダは治安が良いといっても、まだまだ日本に比べることはできません。
ですが、治安の良さは上昇中ですので、何年かすると、ひょっとすると、ひょっとするのかもしれません。

そんな国に主婦としてではなく、ひとりのキャリアウーマンとして飛び込んで、現地で次々とプロジェクトを起ち上げて遂行していく優理さんのパワフルさには脱帽です。

また、フェアトレード事業であるルイズビィには社会起業的側面もあります。
でも、優理さんは自ら”社会起業”などとは一言も発しませんでした。
そういう言葉の流行のような感覚ではなくて、
優理さんにとっては、地元の人と一緒にできる当たり前のことを行なっているだけ
なのだと感じました。

いつも優理さんのような人に出逢うと感じます。
社会起業家というのは結果であって、目的ではないんだなと。
プロセスであって、職業ではないんだなと。

何処の国でも、いつの時代であっても、誰かの本気と志が、社会を良くしているんだなと実感します。
間違いなく、三戸優理さんもそのうちの一人だと僕は思います。

優理さん、ご協力有難うございました!

太田英基

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