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サムライレポート

フィリピンの火山灰地の再生に挑戦した森田 剛氏。現在はジャトロファ等を活用した事業に挑戦中。

2010/12/20  

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火山灰

お、綺麗な砂漠だね!
サハラ砂漠かな?タクラマカン砂漠かな?
もしくはブラジルに在るという真っ白砂漠かな?

これが何かわかりますか?

って・・・ふざけてみましたが、
既に記事タイトルに答えでちゃっています。

火山灰です。

これは、1991年に起きたフィリピンのピナトゥボ山の大噴火における火山灰です。
辺り一面の土地が、農地が、大量に降り注ぐ火山灰の下敷きとなりました。
ピナトゥボ噴火は20世紀最大の噴火と言われているように、
とても大きな爪痕を残したようです。

火山灰3

こちらは大きな教会があったようですが、
その教会の下部分は火山灰に埋もれてしまっているようです。
数メートルの火山灰は当たり前で、10メートルという堆積地も多いようです。

多くの人が農地を失い、途方に暮れて生活をしていたときに、
JICAと味の素社による農地復興の共同プロジェクトが立ち上がりました。
そのフィリピン側の代表を務められていたのが、
本日、皆さんにご紹介する森田 剛さんです。

森田さんとの出逢い

法政大学の堀上教授のご紹介で、森田さんを初めて知りました。
商社でフィリピン勤務の後、そのままフィリピンにてサトウキビ農業を通じた火山灰地再生に取り組み、
今はジャトロファ等に注力をされているかたです。
※ジャトロファとは新しいバイオディーゼル燃料となる可能性があると言われて
いる資源の1つです。
(Wikipedia:ジャトロファ

僕はフィリピンに英語留学3ヶ月間行く予定でしたので、
フィリピンで奮闘されている森田さんに是非お逢いしたいと思い、ご紹介を頂きました。

森田さんの紹介

morita-face
森田さんは1957年生まれで、現在53歳。
大阪生まれ、大学卒業後は総合商社の丸紅に入社。
(※写真はバスターミナルにて。良い笑顔が取れずスミマセン・・・。)

食料本部の砂糖部門に配属となり、
入社して数年後からロンドン、フィリピンと長期間の海外勤務を経験。
1996年に丸紅を退社し、その後、ピナツボ火山噴火の影響で数メートルに積もる火山灰地にて、
農業農地の復興に挑戦することを決意。

1996年4月-2002年:
ALL ASIAN COUNTERTRADE INC, MANILA(砂糖貿易会社)に副社長として参画

1997年5月:
MONOPORT TRADERS INCの前身であるHMI INC社を設立、現在に至る。

1999年-2002年:
SWEET CRYSTAL INTEGRATED SUGAR MILLS(製糖工場)の設立に参画し、
総責任者となる。

1999年-2002年:
味の素(フィリピン社)、JICAの火山灰地での
砂糖キビ再生実験(バイオサイクル計画)にフィリピン側の代表として参画。
実験終了後、現地で単独での継続を決意。
GOLDEN OPPRTNITIES DIVERCIFIED FARM, INC
(通称 GOD FARM)を設立し現在に至る。

2009年4月-:
神奈川県平塚市中堂の製鋼原料会社の株式会社門倉商店の
副社長を兼務、現在に至る。

現在の職務(2010年7月現在)
MONOPORT TRADERS INC 社長
GOLDEN OPPRTUNITIES DIVERCIFIED FARM INC社長
株式会社門倉商店 副社長

農場訪問

森田さんの農場はフィリピンのパンパンガ州のポラックという場所にあります。
近くには元米軍基地のクラーク基地があります。
ここも噴火後の被害により米軍は撤退したようです。

ダウのバスターミナルに元気よく迎えに来て頂き、
そこから車で走ること20分ほどでしょうか。

森田さんの農場が見えてきました。
辺り一面はサトウキビ畑に包まれており、
同じような景色が広がっている為に、
一人で訪れたら間違いなくに迷子になってしまう・・・。
そんな広大な農地の中に、森田さんの農場がありました。

森田さんは本当に明朗快活な方で、
僕のような若輩者にも、本当に丁寧に接してくれる寛大な方でした。

農場に着いて、
森田さんが取り組んでいるジャトロファ、
バナバ、ミミズ堆肥生産、山羊、コーヒー豆などの現場を見させて頂きました。
農業に明るくない私ではありますが、
とても泥臭い事を無数に積み重ねてここまでやってこられたのだと思いました。
森田さんの十年の歴史を感じることができました。

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※コチラの写真がジャトロファです。
ジャトロファという名前は聞いたことがあっても、
中々実物を見る機会は無いと想いますので、ここで憶えて頂ければ。
1本の樹木から多くのジャトロファの実が収穫できるようです。

これらを収穫し、乾燥させて、油分が豊富な種を取り出します。
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DSC00565jatropha -crushing 07.17.
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こちらは森田さんが取り組んでいるミミズを利用した堆肥生産です。
街の生ゴミなどを活用しています。
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こちらは業者が処分に困るコーヒー豆を太陽熱で乾燥させているところです。
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元々はピナツボ火山噴火後、その辺り一帯の農地は全て火山灰に埋没しました。
深いところだと火山灰は10メートル近いようで、建物も埋まってしまう程です。

農地を失った農家が溢れていたところで、
JICAと味の素社の共同プロジェクトとして、
火山灰地での農地再生計画が立ち上がりました。
そのプロジェクトのフィリピン側の代表を務められたのが森田さんです。

多くの学者等の専門家が実際に火山灰地を訪問する中で、
森田さんが貰ったのは厳しい意見ばかり。

しかし、諦めずに挑戦し続けた結果、プロジェクトチームはサトウキビ畑の醸成に成功!
見てください、この変化を。

※下写真、時系列。
火山灰
生ゴミ投入区2 09.12.
BANABA FIELD WIT JATROPHA2 2009.06.20.

火山灰2

そして、近隣の農家も森田さん達と同じような方法を真似る中で、
多くの火山灰地が実際にサトウキビ畑として復活を遂げたようです。
元々、地元の農家達が再び立ち上がる為のモデルケースを造るというのが目的
だったため、プロジェクトチームとしては事を成し遂げたのではないかと思います。

森田さんは数年前より、ジャトロファに着目して栽培を進めています。
去年頃から森田さんはサトウキビからジャトロファに栽培を大きくシフトしたようです。

ジャトロファは日照りが続くフィリピンでも、
そこまで水分が必要な樹木では無い為育ちやすいというのが強みのようです。
逆に、水を与えすぎた結果、あまり成長しなかったジャトロファが多数あるようです。

また、ジャトロファは有害物を種子の中などに含んでいる為、
動物等が畑を荒らすという被害も他作物に比べるととても被害が小さいようです。

森田さんはこのジャトロファを使ったバイオディーゼル燃料で、
今年中に車を走らせることを1つの目標にしたいとのことです。

森田さんは、
その目標も達成できるのではないかと心から思わせてくれる方です。

また、上にもあるコーヒー豆やミミズ堆肥などのように、
常に森田さんは挑戦と試行錯誤を続けている方です。

こちら、森田さんにメールインタビュー回答を頂いたので下記に。

森田さんからのメールインタビュー回答


日々の仕事内容

【農場】
大きな方向性、優先順位などは、現地リーダー格の人物に伝えてありますので、
それにともなって日々の進展状況、チェック依頼などを行っています。
日本に居る場合も含めて、毎日の日報をマニラ事務所経由入手して、
状況の確認、不明瞭な点の確認、翌日の仕事の指示や変更などを行います。

【スクラップ業】
これは毎日、取引先から引取を実施して、毎日支払いを行います。
引き取った荷物は別の土地にあるスクラップヤードに持ち込み、
必要があれば選別などを行います。

又日本、東南アジア向けなどに輸出をするため、
コンテナへの積み込みを行いますが、このための計画や指示などを行います。

一番の仕事は在庫管理、資金繰の管理、
各種機械の整備状況の把握などがあります。
毎日現金の動きがありますので、特に神経を使います。

日本においては、スクラップ相場の市場状況の把握、情報収集、
地元での入札の準備、スクラップの購入の条件提示などの仕事があります。


今後の予定と計画

農場 1)ミミズ堆肥の拡大
現在のミミズ堆肥生産量を2010年末までには、4倍に拡げたいと考えています。
すなわち大量の堆肥を作ると同時に、
大量の余剰有機物を受入する体勢を作る予定です。(ホテイアオイ、汚泥など)
こうすることでミミズの量も増えるでしょう。
火山灰地にての拡大のために安いコストの肥料になってくれるでしょう。

例えば先進国の余剰有機物は、安い賃金、
その処理に適した発展途上国で行えるようになればどうでしょうか?
生ゴミではないので、ゴミ捨て場ではなく、
明らかに付加価値のあるものの安い堆肥に変化させるチャンスが発展途上国にあ
り、その中でも、不毛の土地の復活に利用できればどうでしょうか?

環境、経済、就労の3件は一緒に成立する形ができるように思っています。
この成立を実際面で成立させることを示すことがもっとも重要です。
万が一、これが砂漠のようなところでも、成立できればもっと面白いですね。

2)ジャトロファ
現在はまだ50ヘクタール程度の栽培ですが、
年内までには小型の搾油機を設置してジャトロファ油の原油を作ります。
同時に副産物の堆肥化、燃料利用を確立させます。
これによって他の農家が栽培しても換金できることになると思います。
極端に言いますと全て弊社のコストで植えてもよいと思っています。

3)山羊
現在51匹ですが、100匹以上の体勢にしたいと思っています。
また地元の水牛の餌場としてジャトロファ畑を解放することを進めてみたいと思
います。

4)バナバ葉などの販売
ペットフード、および鶏餌用に販売を促進しています。
何とかものにしたいと願っています。

5)コーヒー殻の乾燥と炭、又は活性炭製造
日本を中心にインスタントコーヒーの殻が大量に余っている。
活性炭の原料としては有効であるが、予備乾燥の費用が高い。
太陽を利用しての自然乾燥が一番有効である。
これが活性炭にまで持ってゆければ真のエコであるが、
そのためには自己資金をためる必要があります。

これらの販売などが進むことは、資金繰りに貢献するだけでなく
農場の拡大、発展のために重要なポイントになると思われます。

繰り返しになりますが、上記によって、荒地にての栽培、堆肥作りなど
総合的に地元民の力を使っての開発ができる方策の確立が、もう少しの
段階ではないかと感じています。

金をかけた方法ではなく、現地の活力を利用して、
先進国の問題も解決できないかと思っています。
一個人に近いところでも、何とか出来るのではないかということを
示すことができれば、地元でもあるいは日本の企業でも継続的に
事業展開を出来るのではないかと検討する証明になればと考えます。

SCRAP
今後はジャトロファの実を高炉などの圧延用油として利用できないかなどの研究にも使ってゆきたい。
一方で電気炉にて古タイヤ、余剰材木なども使用してゆけないかどうかも合わせて検討してゆく予定です。


フィリピンで働く魅力

フィリピンはアジアのラテンと言われるように歌、芸能などの面では非常に
非凡な才能がありますが、基本的にはキリギリスだと思います。
今でも海外に出稼ぎにゆく人口は1,000万人以上です。
この送金が国家予算の多くを占めています。
働いた結果は、金の収入だけで、子孫には有形のものは何も残りません。
失望した優秀な中間層は米国などに移住します。
汚職も含めた政治に問題があることは明らかです。
新しい大統領に期待するところは大です。
これで駄目なら、フィリピンが独自の力で立ち上がることは当面無理と感じています。

逆にいうと、それゆえに外国人である私にも、
独自の考えで事業を行える機会がでてくるのが魅力です。
隙だらけの国です。
事業を起こすチャンスが多い国です。
しかし一方で、信用出来る人材が少ないことも事実です。

残念ながら500年以上の間の植民地にて、
植民地根性がDNAに入っていると思います。
いかに仕事をする振りをして、オーナーから同じ給料を取るかという考え方です。
よって事業なるものが、成功するケースは極めて少ない。
果たして、魅力なのか?そうでないのか? 個人の判断になります。


フィリピン人の働きぶり

正直、非常に悪いです。指示、チェック、確認、再度の指示など
何度も何度も同じことの繰り返しです。
フィリピン人は良く働くと思っている人がいたら、
その人は現場に出ていない人でしょう。

当地の華僑は信用出来る血縁家族組織のなかで台頭します。
しかし、一定以上の規模にするときに大きな問題がでてきます。
国際的に十分通用する企業というのは、ほとんどないと思います。
その根底は、植民地DNAと働く姿勢と思います。


フィリピンでの生活

特に問題は感じません。安全の面には非常に用心深くなっています。
食料品などは他の東南アジアの諸国にくらべると割高と思います。


フィリピンに来てから大変であったこと

2008-2009年にかけて一年がかりの大きな仕事があった時に
以前のSCRAP-YARDの従業員と、地元のギャングにつるまれて
多くのスクラップの在庫を盗まれました。
調査に入ったところ、地元のギャンググループからの脅しが始まり、
約3ヶ月間、この地域に行けませんでした。
一方で農場などの活動を知っていた、裏の世界のもっと大きな組織が
無償でサポートに入ってくれて、話を全部つけてくれました。
一切何も要求はさせませんでした。

もうひとつは、家族が先に日本に帰国して単身になったことです。
特殊な仕事でもあるので、動き安くなった面はありますが、
家族が居ることは精神的な支えになります。


言語の壁

英語はイギリス駐在時のものです。
マニラに来た頃はフィリピンの国語は英語でした。
その後タガログ語に変更になりました。
よって、フィリピンに来て足掛け20年になりますが、タガログ語は殆どできません。
今後も変わることはないと思います。


文化の壁

従業員達の彼らの文化にはフォローするようにしていますが、
仕事の怠慢、言い訳などの文化は、受入れないようにしています。
また、フィリピン人はプライドが高いので人前では叱るべきではないと言います
が、私はキーマンには猛烈に叱ります。
逆に私に叱られない人は期待はされないと思わせています。
よって給料の上昇もありません。


人生のターニングポイント

難しい質問ですね。丸紅をやめたときかもしれません。
本当は、これから私のターニングポイントが来るのかもしれないと
大口をたたきたいところですが。
当方の目指す形が出来上がれば面白いですね。


日本とフィリピンのビジネスの違い

日本では、だます人間、企業は悪いと言われますが、
フィリピンではだまされる人間、企業が愚で悪いというように思われています。
うまく立ち回るのが、賢いと言われています。
当方は一番嫌いな人間ですが、日本も最近は似てきたかな?


フィリピンは、これからどうなるか

中国本土はチベット、ウイグルその他の民族の問題が表面化するでしょう。
共産主義国家と言いながら、貧富の差は異常なものがあります。
当然のように崩れてくると思います。
王室を中心に安定していたとおもわれるタイ国も、
その信頼が崩れてきています。
リスク分散を考えると、フィリピンにもチャンスがあると思いますが、
今のフィリピンでは流れを持ってくることはないでしょう。
私ですら、もしフィリピンの現在の仕事に目途がついて、
大きくして試してみたいと思った場合に、フィリピンで行うのか、もっと低レベ
ルでもやる気に満ち溢れた国で試してみたいと思うかもしれません。

フィリピン人は、ほぼ全ての人が、
自分の国はベトナム、タイ、マレーシア、インドネシアなどと同じレベルという
ように考えているようですが、余りにも謙虚さが欠如していると思います。


フィリピンの農業はどのようになるか

スペイン植民地時代の農業開発に問題があったかもしれませんが、
フィリピンには、強烈なリーダーシップが必要と思います。
ただ搾取するのではなく利益をうまく分配できる良きリーダーであれば、強引でも良いと思います。
民主主義だけでは、新しいものは切り開けません。

フィリピンには、太陽、水はあるので、良い土地と汗です。
太陽と水があることで、安住していては何もないのですが。
この点が、理解できていないと思います。


世界は、これからどうなると思うか

現状はタガがはずれかけているように思います。
社会という樽が、崩れて行っており、
修正のためには全てが変わる必要があるように感じています。

日本、欧米もアフリカなどの国も義務、社会性よりも個人の権利、
自己主張ばかりです。国の予算がなくても、何でも主張です。
良いことばかりを言う政治家、政党ばかりです。

電車に乗ると違反と分かっていても携帯電話で会話をして、
プラットホームが混雑していても携帯をいじりながら人の迷惑も考えずに
だらだら歩くあらゆる年齢の人たちが何と多いことか。
これも権利の主張であり、社会性など考えていないでしょう。
社会性のない人間は猿です。

アフリカに行けばもっと援助を持ってこいと主張する人達、
スペインでもギリシャでも公務員がストライキ。
昔歴史で学んだ、中国の宦官が政治を握っていた時代の中国と同じですね。
リーマンショックのように投棄筋のマネーゲームが本来は
リスク回避のための先物相場が危険なものになっています。
金を儲けようとして何が悪いですかという理論が通っています。

食糧も水も足りなくなるでしょう。
鉱山の権益を奪い合う時代になってきました。
既存のあるものを奪い合う時代です。
海底油田ではありませんが環境の問題も中国などを中心にどんどん出てくるでしょう。

植民地時代と変わらなくなりますし、中国の動きやり方は異常ですね。
経済の牽引車ということで、欧米日も黙ったままです。

誰かが、このような方向よりもっと良いやり方があることを示して
流れが変わる必要があるでしょう。


日本人はどのように動くべきか

現在の日本は食料も安全保障も全て外国にゆだねています。
特に中国の動きは気になります。東シナ海の海底油田、
各地で会社を買いまくって技術をとりに行っています。
食糧関係については絶対に食糧安保は行うべきと思います。
例えば米作は減反などとんでもない、作付を増やすべきです。

その条件として
1)保存はモミで実施することを基本とします。
これで真空にすれば相当に長持ちします。

2)米の買い入れ価格は、
A.その年に必要な量で価格は当面現在並み、
B.A.の価格の70-80%程度、
C.国際価格並みの安い価格

これは欧州の砂糖の制度と似ていますが、
既存の農家が生産を拡大することに役立ちます。

B.は米を使ったパン、麺類その他の使用に役立ち、
C.は海外援助、飼料用、アルコール用の可能性もあります。

3)米を使ったパン、飼料、アルコール産業の拡大
4)子育て支援などには、C.価格を対象にしたものを利用して
金銭ではなく、米そのもの、またはその人の住む市町村の食堂などで御飯として
のクーポンにします。ただしつまらぬ転売をさけるため本人確認が条件とします。

5)余剰野菜なども漬物、その他の加工食品に転換して支援の材料にします。
低所得で、子供が小さい時ほど食事にかかるエンゲル係数は高いものです。

これは一つの案にすぎませんが、
その為には安全な食生活のための確立の方向が必要です。
中国産の安全が乏しいものは少しずつさけるべきです。

ただただ安いから中国製というつまらぬ幻想を断ち切るべきで、
その為には生ごみ、その他よりの堆肥化などで、
化学肥料の使用量の減少の方向も進めなければなりません。

中国の野菜、キノコなどの問題はもう15-20年前から言われていました。
日本ですら、田舎の農家は自家消費には農薬、化学肥料を少なくしたものを
食べていると長野県の農家から聞いています。

大手スーパーなどが基本の姿勢を変えるようにしてゆかなければならないと思いますが、
それを変えるためにも消費者は正しく動かねばなりません。
安いものを求めることは当然でしょう。

よってまず、安全で安いものを作り出す努力をせねばなりません。
日本人のDNAと汗をかける民族性があれば時間は、かかりますが出来ると思います。

北海道にも、後継者がいない放棄された農場が多くあります。
隣の農家の機械などを利用すれば、放棄した農場での作業は可能ですが、
ここに新規の農家の参入は非常に難しいです。
費用も能力も不足しています。
これらの土地を政府が長期で安く借りうけて、近隣の農家に耕作を依頼すること、
またそこに農業サラリーマンとしての人間の働ければ、職も増えますし、
これらの人間が大きなリスクをかけないで、
サラリーマンとして農業に入ってゆき、
KNOW-HOWもついてゆくでしょう。

やはりその土地を一番しっている近隣の農家の力を借りることが必要です。
牧場でも同じことと思います。
北海道の十勝の牧場では牛糞の処理が大変です。
しかし、落ち葉や、温泉の地熱などを使うことで堆肥化は十分に可能ですが、
今のやり方は規制ばかりで、利用する方向がありません。

以前フィリピンの砂糖キビの絞り粕を北海道に輸出して
牛の敷き床の敷量として使い、使用済のものを堆肥化して
富良野のメロン農家に販売していた時期がありました。

堆肥化、集荷のところで、十分にフォローができず、
あきらめてしまったいきさつがありますが、
本来は続けるべきであったのではと後悔もしています。
一方で途中で参入してきた大手商社に
めちゃくちゃにされてしまった忘れえぬ商品でもあります。

第一次産業ほど、裾野の広い産業はありません。
職がないと言いながら、第一次産業には向かわない傾向がありますが、
これは大変な仕事ということに加えて単独で開始するのはリスクが
大きすぎることも知っておくべきです。

ここで述べたことは単なる一例です。お笑いください。


好きな言葉

余り考えたことはありませんので、返答に困ってしまいます。
かつては‘’夢‘’であったと思いますが、
この年齢になりますと夢ではなく、人生の後半に何を出来るかということ考えます。
’質実剛健‘’という言葉は両親に昔から良く言われました。
自分自身の状況をしっかりと理解して、
身の丈にあった贅沢にとどめながらも、
一歩ずつ確実に前進するということと考えています。


日本の若者へのメッセージ

外面よりも内面がもっとすばらしい人間になっていただければと思います。
ろくでもない年配、年寄を見習わないで欲しいと思います。
本当の日本人の良いIDENTITY,DNAを持って欲しいと思います。

私は左翼でもなければ右翼でもありませんが、
日本人の良き考え方や文化を継承すべきです。
他の文化を排除せよということではありませんが
家族ののために苦労するとか、我慢するとか、無償の愛や、汗、努力を忘れがちです。

最低賃金で働くよりも生活保護の申請の要領を覚えた方が
得であるというようなことを指導する政党があったり、
前述したフィリピン流の賢さが国全体の力を殺しています。

日本の若い方々の力を、面白い方向で同じベクトルに動いたときに、
日本の方向が見えてくると思っています。大きな力が動き出すでしょう。
その流れが間違っていないとか、同調出来るとなった時に、
大きな川になって世の中が変化してゆくのではと思います。

ただ、方向が間違っている方向に動くこともあり得るというリスクも
ありますので、いかに真のリーダーは重要かということになるでしょう。
歴史に名を残すような万人に尊敬されるようなリーダーがでてくのか、
ヒットラーのようにベクトルを動かす能力は優れているものの
その方向が明らかに人間として違った方向を目指すリーダーがでてくるのか。

不景気になってくると英雄待望論が出てきます。
果たして日本にはどちらがでてくるのでしょうか?
最近、坂本龍馬が人気を博しているのは、
このような日本人の心理があるのではないかと思っています。

以上、長々となってしまいました。
まとまりも良くないと思いますが、
頂いた質問に対する回答とさせて頂きます。

森田 剛

最後に。

上記の言葉の中に、フィリピン人へのネガティブな印象面も出ていますが、
森田さんは経営者として、労働者であるフィリピン人の方々のことを主に指していると思います。
(その中でも主にブルーワーカーの意識の低さを問題視されている。)

逆に僕が会ってきたフィリピン人の英語講師の人達はとても勤勉で、良い人ばかりでした。
しかしながら、英語講師はほぼ大学卒業者で、全体の一部にしか過ぎません。
フィリピン人という大きな枠で見たときに森田さんが接してきた人達が大部分を
占めているのは間違いありません。

森田さんの話の中のエピソードとして、最も象徴的だったのが、
数年前に、離れた農場で火事があったみたいなんですね。
日に日に火が近づいてきたようで、
これはヤバいとなって、必死に対応策を考えて、実行に移していたある日。

大きな火が目前に迫っていて、
緊急事態でしか無い中で、
「このままでは農場が焼け落ちてしまうかもしれない。」
「畑が無くなるかもしれない。」

森田さんは本気で焦って必死に対応策として、
炎の流れを変える作業をしていました。
勿論、フィリピン人従業員10名も一緒に。

ところが15時になった瞬間、
フィリピン人労働者は森田さんが唯一認める現場リーダーを抜かして全員、
休憩に入ってしまったようです。炎が目前にきている中での休憩。
森田さんは怒りを通り越して愕然として、呆れて物が言えなかったようです。

森田さんの農場で働く労働者の彼らは定職があるだけで本当に幸せなことのようです。
※定職がないとローンが組めないらしく、高額品は購入できないようです。

その農場が燃えて無くなるかもしれない緊急事態なのに、何故休憩を!?
というのが森田さんの心の叫びかと思います。

それでも森田さんは、
本当に地元のことを考えて活動されています。
それが本当に凄いなと思いました。

近くのスラム街で大量にでている行き場のないゴミを集めて、
それをミミズを活用して肥料に変換する試みは、
街を綺麗にすることもできるし、
ゴミを集めるという新たな雇用を生み出せると笑顔で語ってくれました。

また、ひとりの人間(特に外国人)が、農場をドンドン拡大して、
大規模経営に繰り出すと、地元の人の反感を買って盗難や悪戯に遭う可能性が高いと。

もともと森田さんは、ピナツボ大噴火で積もった火山灰、
その大量の火山灰で農家が皆、諦めていた農地再興のモデルケースを示し、
農家に希望をもたらすということを目的に活動をしていた志の在る方です。

森田さんが描く理想モデルは、
ジャトロファやミミズ堆肥等、森田さんが先ずは試みて生産をする。
そして、それらを誰もが回せる仕組みとする。
そうすると近隣の農家等も含めて、皆がそのシステムを真似るようになる。

その次は、森田さんがジャトロファ加工の工場をつくって加工と販売を行う。
ミミズ堆肥も同様に、近隣の農家が増殖したものをまとめて販売を行う。

そうすれば近隣農家と一緒にこの事業を拡大していくことが出来る。
森田さんは自分自身だけでなく、常に現地の人の事を考え、
現地の人と共に持続可能なシステムを模索し続けています。

僕はそんな森田さんの生き方と、姿勢にとても感銘を受けました。

もしかしたら、森田さんの活動により、
フィリピンがジャトロファの一大大国になる日も訪れるのでは?
と、勝手に想い描いています。(素人がスミマセン…。)

森田さんは火山灰地の再生プロジェクトの時も、
特に地質学の専門知識があったわけではないと思われます。
今もジャトロファという未知の可能性を秘めた物に試行錯誤の日々だそうです。

森田さんは僕が撮った写真では伝わらないのが本当に申し訳ないのですが、
とても気さくで、かなり体育会系な方です。身体も大きい方ですが、
それ以上にその精神力の強さが凄いなと思います。

森田さんのチームが在ったからこそ、
あの真っ白で何も無い火山灰の土地が今では緑が生い茂る土地となり、
そこで働く人達の収入や糧となっている。

誰かの行動が世界を変える。
まさに森田さんは世界を変えた人の一人なのではないかと思います。

批判や、不満を言うのは誰でもできます。
森田さんは批判や不満のずっと先にある”行動”を信念に生きている方です。
50歳を過ぎても留まることをしらないその行動力と挑戦力に脱帽した太田でした。

フィリピンにいらっしゃる方は、
是非一度、森田さんの農場を訪問されることをお勧め致します。

最後に、ご紹介を頂いた法政大学の堀上教授、
そして、貴重なお時間を頂いて農場を案内して頂いた森田さん、
本当に有難うございました!

まさに、”サムライ、此処に。”と。
初めての海外でのサムライ訪問、とても良い方にお逢いすることが出来ました。

尚、森田さんは現地と日本を行き来する生活なのですが、
ジャトロファ等について興味関心がある方は是非コンタクトを取ってみてください。

こちらの連絡先は森田さんから許可を頂いています。
※実際にジャトロファやバナバ等を活用しての事業展開等を一緒に推進できる方などは
森田さんも歓迎のようです。

以上、長くなりましたがサムライレポートとさせて頂きます。
長文にお付き合い頂き、ありがとうございました。

今後も都度、サムライレポートを発信していきます
試行錯誤しながら、より良いレポートを発信できる様に精進します。

太田英基

以下、その他の写真です。
DSC00580
※た、、確かバナバの葉です。お茶などにして飲用されます。

DSC00581
※閉鎖工場の廃材の中から、農場運営に役立ちそうな物をストックしているようです。
農場にある建物、施設等はほぼ自分たちで溶接して手作りでつくっているとのことでした。

jatropha in bagas-1 wt goats 07.17.DSC00588DSC00583
※山羊たちは、農場の雑草などを食べる役割があります。
彼らはジャトロファを食べることはないので、有効手段のようです。
とても可愛いので、彼らの好物の葉っぱをあげたのが右上の写真。(笑)

DSC00591
※農場で見つけた不思議な赤い実。
これ、食べれるんです。サクランボみたいな味がしました。デリシャス!

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