Kenya-Nairobi-20110522235753

サムライレポート

エイズ孤児を取り巻く環境を変える為、ケニアに飛び込んだ谷澤 明日香氏(エイズ孤児支援NGO・PLAS)

2012/01/10  

LINEで送る
Pocket

東アフリカに位置するケニア。

ケニアというと、皆さんは何を浮かべますか?
ライオン、シマウマ、キリンなどの動物が元気に走りまわる大草原?
昔ながらの伝統的な生活をしているとされるマサイ族?
世界有数に治安が良くないと評される首都ナイロビのダウンタウン?
多くの経済的に豊かではない人達が住まう巨大スラム街?
紅茶?ナッツ?

まぎれもなく、この全てがケニアの一部です。

僕はケニアには強い興味を持って訪れました。
アフリカの中でも様々な面で発展しているという噂を聞いていたからです。
モロッコ・エジプトの後に訪れたのですが、黒人中心社会のいわゆるブラックアフリカの国はケニアが初でした。

そのケニアの地方都市キスムにて活動している日本人の女性がいるということで、突撃訪問してきました。

それがエイズ孤児支援NGO・PLASの谷澤さんでした。
ケニアにて、素敵な笑顔で僕を歓迎してくれた谷澤さんを今回はご紹介致します。

自己紹介とこれまでの歩みについて教えてください。

(※左が谷澤さん)

1982年、神奈川県横浜市出身。
大学在籍中の2005年エイズ孤児支援NGO・PLASを設立。
途中、ケニアで活動する他NGOでのインターン期間を経て、
2007年よりプラス海外事業担当、2008年より現在までケニアに駐在しています。

団体設立当初は無給で活動していたので、
有給になるまでの数年間は派遣社員などをして仕事の片手間で活動していました。

PLAS(プラス)の活動内容と、エイズ孤児を取り巻く環境について教えて下さい。

エイズ孤児支援NGO・PLASは、
片親・または両親をエイズで失った18歳未満のエイズ孤児の子どもたちが直面する問題の改善に取り組む団体です。

現在、世界では約3400万人の人がHIVに感染しており、
そのうち年間およそ200万人がエイズにより亡くなっています。

親をエイズで亡くしたエイズ孤児は2009年の時点で全世界およそ1660万人と言われ、
そのうち約9割がサハラ以南のアフリカに存在し、今も14秒に1人の割合で増え続けています。

親を亡くしたエイズ孤児の多くは祖父母や親戚に引き取られますが、
祖父母が高齢で働けない場合は子どもたちが家族を支えていかなければならなかったり、
親戚に引き取られても、既にいる子どもたちの中で低い優先順位に置かれてしまい、
他の子どもと同じ機会に恵まれることができず、様々な困難を抱えています。

このような状況の中、私たちは地域の中で子どもたちが育つことが大切だと考えており、
地域の大人たちがエイズ孤児を支えていかれるようバックアップしていくような活動をおこなっています。

子どもたちを取り巻く環境を変えられるのは、よそ者である私たちではなく地域の大人たちです。
そのため私たちは孤児院の運営や子どもの学費を直接サポートするような協力はおこなわず、
地域の大人たちが持っているリソースを活かして一緒に問題の解決に取り組みます。

その際に注意しているのは、外部支援への依存心を生まないよう、
彼らにできることはなるべく彼らの手に委ねる
ことです。

これまでには、エイズ孤児が多く通う小学校の教育環境改善のための教室建設事業や、
学校の農園で作物を育てその収穫から学校に通うエイズ孤児の学用品支援を行う農業支援事業、
そしてお母さんから赤ちゃんへのHIV感染を予防するための母子感染予防啓発事業などを実施してきました。

谷澤さんがPLASに参加した経緯を教えて下さい。

大学時代は途上国の貧困問題に関わりたいと思い、
国連などの国際機関での仕事にあこがれていましたが、
現場を知らずにそうした道を目指すことに違和感を覚えていました。

その時、国連大学で出会ったアフリカの人たちの
「自分たちの国の発展のために尽くしたい!」という強い思いに共感し、
学生最後の夏休みに思い立ってアフリカ(偶然にもケニアでした)へ行くことにしました。

そこで目にしたのは、電気も水道もなく車もめったに通らない田舎での生活、
そしてエイズとたたかう人たちの姿でした。

自分の無力さを思い知ったものの、
諦めの悪い私はプラスの発起人が企画した勉強会に参加し、現在の仲間に出会いました。

知識も経験もありませんでしたが、“何かをしたい”という思いが先走っていた感じですね。
その後ケニアで活動する別のNGOで1年弱の間インターンとして地域開発のイロハを学び、
帰国後はプラスに本格復帰し、思いを形にするために海外事業を担当しています。

谷澤さんがケニア現地で行っている活動内容について教えてください。

ケニアの事業は現在、お母さんから赤ちゃんへのHIV感染を防ぐ母子感染予防事業に力を入れています。

HIVに感染した赤ちゃんは、その半数以上が2歳の誕生日を迎えることができません。
母子感染予防プログラムを受けることで感染率は3%以下まで下がるといわれていますが、
農村では母子感染が予防できることを知らない人たちが未だに大勢います。
(※啓発活動に参加するお母さんたち)

プラスの母子感染予防事業では、地域で啓発リーダーたちを育成し、
彼らがグループを組んで地域の医療機関や区長の会議など、様々な場所で啓発活動を実施します。

その際に対象となるのは妊産婦のみならず、女性が出産をする上で協力が必要不可欠となるパートナーの男性や家族も含まれており、家族ぐるみで課題を解決できるように促していきます。

このような活動をおこなうためには、住民に行動変容を促していく啓発リーダーたちが住民から信頼されていることが重要です。そのため啓発リーダーとして育成される人たちは、地域住民が安心して情報を受け取れるよう住民自身が投票をおこなうことで選出されます。
(※候補者に投票中)

また、ケニア事務所の統括も業務の一部です。
ゼロからのスタートでしたので、団体登録や事務所の開設を経て、経理や人事、総務等の事務もやらなければなりません。

海外での仕事というとどうしても事業調整にばかり注目がいってしまいがちですが、
事業の根幹を支えているという点ではこちらもなかなか手ごたえのある仕事です。

海外に渡った理由やキッカケを教えて下さい。

学生時代に語学力向上のためにアメリカへ渡ったのが海外へ渡った初めての経験でした。
ここで語学への自信がついたこと、
そして異文化への興味がその後のステップに大きく影響したと思います。

ケニアの駐在を決めたときは、無力ながらも自分たちで事業を一から作ることができ、
もう一度現場の仕事に戻れることが楽しみでしたね。

何よりも、現場での仕事は活動の成果を直接目にすることができ、住民からの反応をダイレクトに感じられるのが刺激的です。
また、日本の事務局を支えてくれる信頼できる仲間がいたことも海外への一歩を後押ししてくれたと思います。

海外で活動するという志向を元々お持ちでしたか?

強い想いがあったという訳ではありませんが、
当時世界を舞台に活躍されていた緒方貞子さん明石 康さんについて授業で学び、
漠然とまだ見ぬ世界に憧れを抱いていた気がします。

大学では将来的に海外で仕事できるようになりたいと考えていましたが、
まさかこんなに早くその日が来るとは思ってもいませんでした。

ケニアと日本の違いをどういった部分で感じてらっしゃいますか?

色々な意味で大らかなところでしょうか。
良くも悪くも、こんなに大ざっぱに生きられるものなんだなぁと思いました。

時間に大ざっぱなのは想像に難くないかと思いますが、
仕事に対しても“全力を出し切る”ではなくて、ゆるりとやるところ、細かいところは気にしません!

そしてポジティブな人が多いですね。
どうにかなる、と私からすると全く根拠のないポジティブさ全開で、
でも大体どうにかなってしまうという不思議。
どうにかなるものみたいです。

言語の壁以外に、ケニアにきてから立ちはだかった困難はありますか?

困難という程の困難ではないかもしれませんが、
たとえお金を持っていなくても肌の色の違いでwalking dollarと認識されてしまうのは何かと不便ですね。
初めてケニアに渡航した頃とは違い、3年もいると大抵のことは慣れてしまいますが、
ケニアの食文化の貧しさ(調味料が少なく味が単調)は3年経って改めて気付いた残念な点です。
※ここでいうWalking dollarは“歩くお金”という意味。

海外(ケニア)で活動すること、生活することの魅力について教えて下さい。

自分の常識が通じないのが当たり前なので、フレキシブルになれると思います。

ないもの尽くしなので少ないリソースでやりくりできるようになったり、
待ち時間が長くなることを見越してスケジュールを組んだり、大概のことには動じなくなります。

私も元来は時間にうるさい、細かい人間でしたが、
こちらで生活するようになってからかなり大ざっぱになってきたと思います。

ケニアはアフリカの中でも観光資源の多い国なので、アクティブな方にはオススメです!
野生動物の宝庫である数々の国立公園、コバルトブルーの海もあり、
アフリカ最高峰のキリマンジャロやケニア山を登山することもできます。

これはケニアに限りませんが、異国で暮らすことで日本を客観的に見ることができ、
日本が前よりも好きになりました。

食べ物のバラエティの多さはもちろんのこと、
治安の良さや賄賂を払わなくても高水準のサービスが受けられることは“当たり前”ではないのだと改めて気づかされました。
これらは先人が積み上げてきた努力の結晶に他ならないのだと感謝の気持ちでいっぱいになります。

今後の予定や将来の夢(目標)について教えてください。

直近ではケニア事務所や母子感染予防事業の基盤を確立すること。

いずれは他国で新事業の立ち上げができたらいいな~と思います。
そのためにももっと自分の専門性を高めることが課題ですね。
 

最後に、国際協力のフィールドを志す日本の若者にメッセージをお願いします。

国際協力のフィールドを目指す際、どの分野で働きたいかはもちろんですが、
どういったポリシーやアプローチ方法をとっているか、
そしてそれが自分の信念に合うかどうかを確認することがとても重要
だと思います。

そこで、もしピンとくるところがなければ、ピンとくるものを自分で作ってしまえばいいのです!
やらずに後悔するのはもったいないですので、一度きりの人生を楽しみましょう!

以上、谷澤さん、ご回答ありがとうございました!

あとがき

僕はNGOやNPOなど、いわゆる社会貢献活動を行っている人達の海外での奮闘の様子を旅にでる前までは知る由もありませんでした。

日本では綺麗ごとのように入ってくる現地の情報も、谷澤さんのように異国の土地で奮闘している人が創り出しているモノなんだと、改めて感じずにはいられません。

谷澤さんはこの記事には書けないようなディープな話もしてくれました。
やはり、日本人がアフリカの土地にきて、現地人とゼロから何かを創っていこうというのは非常に困難なことなのだなと。

ただ、谷澤さんは苦しくも、ツライことがあっても、それでも逃げ出すこともなく、むしろ、その状況を楽しむかのように、今もなおケニアに身を置いています。

彼女のように現場に飛び込んで支える人がもっともっと必要になってくるのではないかと思います。

また、谷澤さんが言うようにアフリカの「依存」については考えなくてはなりません。
現地の人達のサポートはするけれども、依存ではなく自立を促す方法。
とても難しく、かつ時間もかかることですが、これが一番大切なのだと思います。
それをケニアにて実践されている谷澤さんにお逢いできて本当に良かったです。

近年、社会貢献という言葉が注目され、多くの若者が興味関心を抱いています。
是非、次のステップとして興味を抱いた人は社会問題の現場に飛び出してみてください。
机上の空論ではなく、地に足の着いた理論と解決方法を提唱できる人にならなくてはと、改めて考えさせられました。

谷澤さん、ご協力ありがとうございました!

参考:エイズ孤児支援NGO・PLAS
WEB: http://www.plas-aids.org/
Facebook Page: http://www.facebook.com/NGOPLAS

太田英基

LINEで送る
Pocket

  • 日本最大級の留学情報サイトSchool With(スクールウィズ)
  • CareerWith

, , , , , , , , , , ,


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です