(※アルゼンチン出身の2人の革命家チェ・ゲバラと、サッカー革命家メッシ・・・?)
南米にあるアルゼンチン。
皆さんは、アルゼンチンのことを何処までご存知ですか?
サッカーが好きな人なら知っているマラドーナが育った国であり、メッシもアルゼンチン出身です。
革命家チェ・ゲバラの故郷でもあります。
アルゼンチンについては僕よりも、ウィキペディアのリンク見てもらったほうが理解は早いでしょう。
僕がひとつだけ言わせてもらえるならば・・・アルゼンチンの牛肉は世界最高ということです…!(笑)
さて、そんなアルゼンチンの首都ブエノスアイレスでお逢いした大田朋子さん。
彼女は凄まじいバイタリティの持ち主で、
一緒にいるこちらにもエネルギッシュが伝播してくるような、そんな方でした。
アルゼンチンでお逢いした朋子さんは、その前はメキシコで仕事をしていたそうです。
メキシコの前はインドだそうです。インドの前はドイツだそうです。
そして、今はアルゼンチンから引っ越してスペインにいらっしゃるとか…!
まさにワールドワイドでノマドな人生を歩んでいるたくましい日本の女性です。
そんな朋子さんにレポートにご協力を頂いたので、ご紹介させて頂きます。
神戸で生まれ大阪で育ち、大学では商学・経営を専攻しました。
同時にこの頃から世界への興味が沸いていて、
一人でアメリカに行ったことがきっかけとなって海外への興味が大きく花咲きました。
その当時は「何をしたいか」というよりも、
「海外で活躍する人になりたい」「自分らしい人生を作り舞台を世界に広げたい」
といった漠然としたものでしたが、
漠然としたなりにも、それを具体化したいとの思いで大学時に海外インターンでドイツに行き、
そのままドイツで就職を決めました。
ドイツで決めた外資企業はIT企業で、
当時ITバブルのなかアジアのシリコンバレーと言われたインドのバンガロールに勤務する運びとなりました。
当時のインドのIT業はまだまだアメリカやヨーロッパを向いていて、
日本でも知名度がやっと出てきた頃。
流れの先駆けにいたこと、よいチームに恵まれたこと、
また会社で日本人が自分だけだったということもあって、
当時の自分の活躍が雑誌「ビジネスウィーク」や現地の新聞にもたくさん取材されたりと、
個人的にもバブリーな時期でした(笑)
このように仕事は充実していたのですが、
昔からあった「ラテンの国へのあこがれ」も同時に大きくなり始めていた時期でもあり、
会社勤務ではなく独立して自分で仕事を作っていきたいという思いも出てきました。
インド人の同僚たちは数年会社で勤務したら独立して自分で会社をしていくか、
アメリカなどへ渡っていくパターンが多かったので、いい意味でものすごく刺激を受けたのもあります。
考え抜いたあと、
結局当時関わっていた大きなプロジェクトを終えたのを機に会社を辞めて、
メキシコへの渡航を決めました。
メキシコに行き、現地の様子やニーズを理解して商材を決め自分で何かを立ち上げたいとの思いでした。
その時は中南米のなかで、特別メキシコで何かをしたいと思っていたわけではなくて、
他の中南米諸国への足かがりとしてメキシコが行きやすかったという理由で降り立ったに過ぎませんでしたが、
結局そこで現地の野菜や果物、オーガニック商品などを扱う共同経営者と出会い、
彼と一緒にメキシコのオーガニック商品、果物などを輸出する会社を興しました。
会社をし始めて数年経ち、
「世界中のお気に入りの他の土地で複数のビジネスを興して、仕事を通して世界中を飛び回りたい」
を実現する為に、その土地、ネタ探しに数ヶ月間南米をバックパックもしました。
結果として、到着した瞬間に、
その街並みに一目ぼれしたアルゼンチンのブエノスアイレスに移住して、
そこを次の拠点とすることを決めました。
メキシコの会社を続けながらだったので、
ブエノスアイレスに住みながらも毎日のようにメキシコの共同経営者と連絡をとり業務を進めていましたし、
取引先の日本に飛んだり、と移動も多い時でした。
一方で、メキシコ時代に歯医者さんで読んだ漫画の「プロジェクトX」に感動して、
それらをスペイン語出版したいと思っていた経緯があって、
アルゼンチンでは漫画の国際著作権を扱う仕事を始めました。
今から思うと、何も知らない国で、よく思いついたことを形にしていけたなあと、
当時の自分に感心するようなときもあります(笑)
が、自分の思いに共感してくれた方がたが話をつなげて下さったり、
力添えを下さったおかげで出版にこぎつけられ、関連のプロジェクトを進めていけました。
長い話を短く、結論だけ言うと、
当時はまだ(今でもですが)アルゼンチンでは中国と同じようにまだ著作権への概念が薄く、
結局取引先の支払い不履行などの契約違反など裁判沙汰になる争いがあり、
取引先への整理ののちに私は会社を閉めました。
その時、自分はちょうど30歳になる前でした。
仕事のこともだし、住んでいる国(そもそもアルゼンチンでないとできないことをしているのか?という根源的な質問)への自問など色々なこと、
自分のしていることや立っている場所を振り返る必要に迫られたときでした。
人生でゼロベースに戻さないといけない時があったのだとしたら、この時でした。
その時は、著作権ビジネスでの経験からアルゼンチンではもう会社を興さないと決めていて、
またアルゼンチン人と関わって働く仕事は仕事そのもの以外での無駄な労力がかかり過ぎる、
という理由で、アルゼンチンにいながらもそういったことを抱えずに、
自分が好きなことを仕事にしていけるかたちは何かと考えました。
当時はすでに今のパートナーとの生活を始めていたので、(相手はアルゼンチンでブエノスアイレスの不動産に特化した不動産リスティング広告の会社をしていて当時はまだアルゼンチンにいる必要があった)
アルゼンチンにいながらできること・したいことを、と考えました。
話が少し反れるのですが、
この時に、自分を見つめ直す為にも、それまでのぐちゃぐちゃを整理して新たに出直す為にも、
ちょっと今いる場所を物理的に離れる必要があるなあと思って、
目的地も期間も決めずに旅に出て、結局ボリビアやペルーに行きました。
落合さんの「命の使い方」など数冊の本とノートを持ってでました。
旅先で今までのことを書きだして見直し、何が好きで何が好きでないか等、
自分を徹底的に見つめなおすことなしに次には進めないと思ったんだと思いますが、
旅のなかでだんだん力を取り戻す自分を感じました。
人って時間とともに進める素晴らしい生き物だなあなんて哲学的なことを感じましたよ。
ペルーのマチュピチュに朝日とともに登り、夕陽を見て下山する時に、
なんとなく「これからも私、大丈夫だ」と思って旅の終わりを決めました。
その間に何が吹っ切れたかは話が長くなりすぎるので割愛しますが、
今ある状況でできること、好きな事の要素がたくさんあること、
今後国を移動しても継続性があること、
などの要素を持っていることを仕事として成り立たせていこう、と思いブエノスアイレスに帰りました。
現在、パートナーも自分も、場所と時間から独立した形で仕事ができる環境が整ったことを機に、
7年間住んだブエノスアイレスを離れてスペインに移住したばかりです。
ブエノスアイレスは一目惚れした大好きな都市なので、
また私はタンゴを踊るのでこれからも接点を持ち続けたいと思います。
20代、もがきの中。
場所を選べる生活ができるようになったこと、
生き方に合わせて仕事を作っていく姿勢ができたこと等は、
自分の生き方や働き方の大切にしたい根本部分となりました。
現在は、海外在住のライター&レポーターとして日本の雑誌や新聞に記事を書いたり、
記事の元になるネタのリサーチをしたりしています。
また、メキシコで輸出会社をしていた時の経験を買われて、
アルゼンチンのステビアを扱う会社のマーケットコンサルタントもしています。
「世界が拠点な生き方☆世界が拠点な子育て」というのが自分の今のライフテーマですが、
これは生き方が仕事でもあり、仕事が生き方につながっているような、
そしてその舞台は世界といったことをイメージしています。
一人ひとりが好きな事をやっている社会は素晴らしいと思うので、
自分自身そういう一人の大人でいたいです。
また、社会にどう還元していけるか、という思いも強いので、
今後の10年はそういう視点でまた何かを起こしていきたいと思っています。
学生の時に一人でアメリカに行ったのが本当の意味で「海外に渡った」経験でした。
その時は語学も含めて「今まで自分が日本でやってきた事が十分通じるんだ」という自信と、
これからの課題や方向性が見えて帰ってきた感じでした。
その後、大学生の時にアイセックの海外インターンに応募しドイツ(ドレスデン)に行ったことが、
海外畑を歩きだす大きな転換期となりました。
人の底に流れるやさしさやあたたかさはどちらの国でも同じでしょうが、
それの表現の仕方の違いが違うなあと思います。
(アルゼンチンはラテンだけに身体的タッチも多いし、情熱的な表現をするなど)
あと、時間の流れ、時間のとらえかたが違う。
とにかく「遅い」!
食べる時間も遅いし、人が集まって終わるのも遅い(し長い)。
よくしゃべってよく笑うのは私の出身地大阪の人たちと似ているかなあと思いますが、
全体的にいって日本人が謙遜傾向があるのとは対照的にアルゼンチン人、
特にブエノスアイレスの人たちは前に前にでてくるかな~(笑)。
1のことでも10に見せて言うのが上手というか・・・。
商習慣といえるかはわかりませんが、
“Tomamos un cafe” (カフェでも飲みましょう)というのが、
「会議しましょう」とのお誘いの定例表現であること。
ちょっとアノ話を詰めましょうかとか、
ちょっと会って話しましょうか等、何でも「カフェ飲みましょう」と表現されます(笑)。
あと商習慣ではないですが、
政府が条例を頻繁に変えるので、働く際には政府の動向に要注意です。
最近も海外からの送金額にさらなる制限がかかりましたが(一人につき一カ月1000ドルまで)、
これほどまでに!というくらい条例の変更が多いので、
ある程度どんな変更があっても対応できるくらいの自己防衛対策が必要です。
(アルゼンチン以外で会社登録した方が有利?国外の口座で取引できるか?など)
面白さは、自分が好きな場所を舞台に、人生を繰り広げられる点。
人や異文化への発見には限りがないですし、
世界中を舞台に人生が展開できるのはこの上ないワクワク感と自由感があります。
大変なのは、引っ越し作業(荷物整理…笑)です。
特に子供ができてからの引っ越しは、荷物が増える傾向があり大変だなあとつくづく・・・。
あと、住み慣れた時から離れるのは年々さみしくなっているのも痛感しています。
昔は「また会えるからさ」というこれから行く場所への楽しみの方が強かったですが、
親しくなった友達との別れが段々つらくなってきているなあ・・。
国際結婚のよい点は「違う」のが当たり前だから、
とことん二人で話をして二人の形をつくっていく意識が高くなる事だと思います。
あっ、でもこれは国際結婚でなくても意識次第でそうなりますね。
子育てはまだまだ渦中なので何とも言えないですが、
国によって何が普通かが多少違ってくるので(寝る時間とか)、
どこにいっても自分にとって取り入れたいところは喜んで吸収する柔軟さを持ちながらも、
大事なところというか、こだわりたいところは「マイウェイ」、という気持ちが強くなっています!
子供の言語(それに伴う学校選び)などの課題がこれから出てきますね~
楽しみにしています!
今までの10年は、
時間と場所に独立したかたちで働ける体制を作る事や、
世界を拠点にしていく素地みたいなことができた10年でした。
これからの10年は、
それらを広げていったり、自分でもまたプロジェクトを起こしていきたいですが、
そうしながらも社会へどういう形で還元できるかを具体化していくつもりです。
若くても若くなくても、できることがたくさんありますが、
若いほうがやりやすいこともたくさんあると(今は)思います。
特に30歳までにしたことは、
必ず人生がその勢いで何でもこれからの糧として生まれ変わらせてくれる。
だから、やりたいことは何でもやってしまって楽しみまくってください!
わからないことでも、わかることをやっていくうちにわかることが増えてくるものだと思うので、
その時に自分に失礼じゃない時間の過ごし方がしていけるといいですね。
あと、どんな時でも家族と友達、
何より自分の「直感」みたいなのを大事に自分の人生舞台を楽しみまくってください!
以上、朋子さんからの回答となります。
朋子さんほどに世界中を動き回って仕事をしている方は、そう多く無いと思います。
いわゆる世界の何処ででも仕事を創っていける、ノマドな生き方を実践されている方だと思います。
海外の何処にでも動いていけるチカラ、自分の仕事を創っていけるチカラ、家族を支えていけるチカラ。
僕も見習わせて頂きたいところ、学ばせて頂きたいところが多く、
もしかすると朋子さんは僕が想い描く生き方のひとつの理想形なのかもしれないとも思ったりします。
朋子さんはブログやツイッターで興味深い情報をいつも発信してくれています。
海外へ飛び出してみたい方は要チェックです。
大田 朋子さんのコンタクト
Blog:http://tomokoota.wordpress.com/
Twitter:https://twitter.com/#!/tomokoota
※朋子さんはドイツの後、インド、メキシコ、アルゼンチン、スペイン・・・
考えてみると、メキシコ、アルゼンチン、スペインの共通言語はスペイン語です。
もちろん、朋子さんは既にスペイン語ペラペラです。
あらためて、スペイン語の今後の可能性についても考えさせられます。
朋子さん、レポートへのご協力、有難うございました!
太田英基
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