ブラジル。
南米の大国、ブラジル。
この国の名前を知らない人はいないでしょう。
特にサッカーが好きな人達には避けて通れない国名でしょう。
ブラジルはBRICsの1カ国として、
中国、インド、ロシアに並ぶ経済成長国としても今後期待されている南米の大国です。
人口は約2億人。国土面積は日本の約23倍。
移民で構成された為、多種多様な人種が混ざり合って生活をしている。
日本からも、おおよそ100年前に多くの日本人が移住した為に、
ブラジルで日系人(日本人の子孫)を見掛けるのは珍しくない。
今では南米最大の商業都市サンパウロを中心に日系人は100万人以上いると言われている。
(詳しくは日系ブラジル人のウィキペディア参照)
アメリカが「人種のるつぼ」といわれているが、
実際にはアメリカは人種差別が未だに根強いらしいと聞いた。
「人種のるつぼ」、その言葉にふさわしいのはブラジルなのではないかと僕は強く感じた。
出逢ったブラジル人に聞いた。
どうやってブラジル人か、外国人なのかを見分けるんだ?と。
彼は答えてくれた。
「僕でも見た目では誰がブラジル人か判らないんだ。
でも、ポルトガル語を話す人がいれば、きっとそいつはブラジル人さ!」
そんなブラジルにおいて、
日系人社会向けの邦字新聞を出版しているサンパウロ新聞社に勤める植木さんに出逢いました。
今回は植木さんにレポート御協力頂きましたのでご紹介したいと思います。
(※右が植木さん。ブラジルを訪れた漫画「島耕作」シリーズの弘兼憲史氏と共に。)
1976年(昭和51年)11月4日生まれ、35歳
長崎県長崎市出身
長崎大学教育学部付属小学校、長崎大学教育学部付属中学校、県立長崎東高校、
久留米大学商学部を経て、
東芝コンシューママーケティング、アサヒフィールドマーケティングなど、
マーケティング関連企業で働きながら地元長崎のサッカーチームの
「V・ファーレン長崎」のサポーター代表などを務める。
その後、建設技術の専門紙で新聞記者となり、2011年2月にサッカーが盛んで、
さらに経済成長著しいブラジルで記者をしたいという思いで、渡伯。
現在、世界最大の海外邦字紙「サンパウロ新聞」の社会部記者として活躍中。
社会部の記者として主に日系社会を中心に取材を行っています。
その中で、新しいニュースを取り上げて行くことはもちろんですが、
海外で発行されているエスニック新聞の特徴でもある
「過去の中から新たなニュースを発掘する」作業や検証も記者としてかなり重要だと気付きました。
多くの方にお話を聞き、
これまで語られることのなかった日本移民史を掘り下げて行くことなどは、
未来に向けて大きな価値があります。
今後の移民研究の貴重な資料にもなり、
またこれから新たに海外に飛び出していく人達や、
海外で仕事をする日本人にも大きなヒントにもなるとも考えています。
その一方、ブラジルのダイナミックな経済成長によって、
日本からブラジルの見方が変化していると日々感じています。
今年は震災によって約10万人の在日ブラジル人がデカセギから帰ってくるなどしましたが、
日伯交流は現在進行形で変化しています。
その中で、日系ブラジル人の動向はダイナミック。若い世代には躍動感を感じます。
高い進学率を誇る日系の子息は、
「南米の東大」といわれるサンパウロ州立大学で20%以上が日系です(ブラジルの日系人口比率は1%未満)。
勤勉で正直な日系人は尊敬を集めており、子息の教育にも熱心です。
そのため日系人はブラジル進出を考えている日本企業との間を取り持つなど、
日本とブラジルの間の交流に大変重要な役割を果たしていると感じます。
さて現在、私が一番注目して追っているのはブラジル野球代表。
構成メンバーの9割以上を日系人が占めており、
2013年に行われる第3回ワールドベースボールクラシックの予選(2012年10月開催予定)に、
ブラジル代表は始めて参加します。
予選を勝ち抜き、本戦に行けば日本と対戦することもあるかもしれません。
代表選手のアイデンティティはもちろんブラジルですが、
日系ブラジル人がブラジルのために国の誇りを背負って戦う姿は、
日本とブラジル双方に大きな話題を与えるかもしれないと考え、密着取材をしています。
これには、日系ブラジル人も国に貢献できるチャンスですので、大きな期待を持っています。
私は育成年代から、成人までブラジルの野球を追っており、
9月には10歳以下のブラジル代表がパン・アメリカン出場した際には中米ニカラグアにも同行し取材しました。
密着取材を得意としており、
WBCに出場した場合は日本やアメリカまで追いかけて行きたいと考えています(笑)
日系ブラジル人が一ヶ所に集まって、
ブラジル代表を応援している場面をいまから想像するだけで胸が熱くなります。
今年、11月にはアルゼンチンでフル代表の南米大会もあるので活躍を期待しています。
サッカーが大好きで、南米独特のサッカー文化(ノリ)を肌で感じたいという事と、
海を渡った理由はなんであれ、世界を股にかける生き方(移民)に興味がありました。
特に海外のコミュニティの中で発行されるエスニックなメディアで仕事したいと強く思っていました。
ブラジルに来て、サッカーが好きなはずなのに、
今は野球に夢中なのが自分でもおかしいと思っています。
小さい頃からなんとなく自分はそうするものだとは考えていた。
若い時に渡るのもいいが、34歳で渡るのもまたいい。
日本での社会経験は海外でも役立つ。
具体的な例を挙げると、
ブラジルはすべての職業でそうなのかもしれないですが、
新聞記者であっても仕事の緻密さがあまりないように思えます。
取材が個性的であるけれども雑。
従って、多くの日本の優秀な中堅ビジネスマンはリスクを管理することにかけては世界的にも優秀。
取材場所で一緒になった自社や他社のブラジル人記者からも、
「ねえ、ここはどうだったの?」と聞かれて頼られることも度々あります。
日本で培われた地道で無駄のないビジネススキルは、日本人が思うより世界では武器になります。
海外に出るのが年齢的にも遅いといって卑屈になることはまったくありません。
むしろ多くの経験を持っているので良いかもしれません。
ただし、ゼネラリストよりも絶対何かのスペシャリストであったほうがいいと思います。
今年で日系移民が開始され103年が経ちました。
移民の高齢化と3世、4世がブラジル社会に同化し、日本語の話者は減少し、
日本の習慣なども徐々に薄れていっています。
これは良いことでも悪いことでもないと考えています。
既に4世の結婚相手は日系以外が9割だと言われている。
彼らは、古い概念に捉われず、高校進学からアメリカに渡るなどダイナミック。
英語教育熱も高い。
日系社会には古い日本の良さと、ダイナミックな変化が同居しているのがすごく面白い。
痛烈に感じているのは、ブラジルは「多様性に寛容」であること。
人と違うのが当たり前と言う感覚がスゴイ。
逆に日本は「同質化社会」。小さな違いをすごく気にします。
ブラジルではおじいちゃんなのに中学生もいる。
学びたければ何歳からでも学べる。
働きながら大学に行くのはもはや当たり前。
みんな自由なスタイルで目標に向かう。
それに対してどうこう言う人も居ません。とても素敵だと思います。
ここに来ると日本型の人生設計スキームは選択肢のほんの一つだけだということが分かる。
全くないです。困難は言語だけ。
食事もおいしくて、女の子もかわいい。
もともと、どの国にも順応するのは早いほうです。治安も想像していたよりいい。
言葉は勉強じゃなくてスポーツだと言われるから毎日使わないとダメみたいです。
日系社会もサンパウロ市みたいに大きすぎると日本語で済むから、常に使うように意識しないといけないですね。
そのため今は学校に通うほか、語学の家庭教師をしてもらっている。
ネタに溢れていること。
濃縮な日々を味わえること。
苦労さえ楽しみになること。
それが自分の成長に繋がること。
長く働くと特に日本と変わらなくなるんだろうけど、今は毎日刺激がいっぱいです。
こんなに楽しい事はない。
来年からアマゾンやド田舎までブラジル国内を隅々まで回る計画。
そこでより多くの移民の証言を残していきたいと考えています。
また、野球ブラジル代表の活躍を伝えることで日系社会に新たな「熱」を伝えたい。
いまは成長するブラジルと共に自分も熱く生きることに一生懸命です。
将来的にはこの仕事が本当に好きなので
ずっと何かを伝える仕事(マスコミ)をしていたい。
それは日本でもブラジルでもアフリカでもどこでもいい。
でも、できればサッカーに関わる仕事してみたいなあ(笑)
それと、最近知ったんですけど、
ブラジル隣国のパラグアイの日本人向け永住権枠があと8万人分余っているらしいです。
日本人なら簡単に小額で永住権が取得できるそうなので、勢いで、
今年のクリスマス休暇あたりに隣国の永住権とってみようかなあと考えています(笑)
人生は思いっきり生きれば、不思議と疲れない。
めちゃくちゃな感じで適当に自分のやりたい事をぶちまければ、正解。
世界は適当に回ってるんでやりすぎぐらいがちょうどいい。
ブラジルならなおさら。ブラジルは日本人に一番合うかも(笑)
チャンスは現場にたくさん落ちすぎています。
ブラジルに来る機会があったら、サンパウロ新聞まで遊びに来てください。
以上、植木さんからの御回答となります。
まず、植木さんの飛び込み力が凄い…。
会社を辞めて、いきなりブラジルに渡るなんてことは中々できることではないかと。
そして植木さんの話で驚いたのが、
ブラジルで人口比率1%未満の日系人が、サンパウロ大学の学生比率20%を占めるという事実…。
僕は南米にいた時に、ペルーやブラジルを始めとする国の人から、
「日本人は信頼できる!」「日本人は優秀だ!」と言われることが時折ありました。
今考えると、それらの信頼関係を構築してくれたのは今の日本人ではなくて、
100年も前から南米に渡り、厳しく過酷な環境の中を生き抜いて信頼を勝ち取ってきた日系人の皆さんなんだと。
サンパウロで出逢った日本語ペラペラで日本文化にも精通する日系人の青年が僕に言った。
「僕は日本の人が、『笠戸丸(Wikipedia)』を知らないと聞いて驚いたんです。日本人なら誰もが知っている歴史だと思っていました…」
彼はそう言った。笠戸丸、皆さんはご存知でしょうか?
僕らは日系人移民の歴史についても学ぶ必要があるのではないかと思えた。
そして、南米やアメリカを中心に世界に散らばった日系人と、
今こそ協力し合って進んでいくべきなのではないかと思ったりもする。
特にブラジルはこれから経済急成長国。日本の真裏に存在する国。
そこに根付いてきた日系人コミュニティを支えていくことは大きな国益にもなることと思う。
(ブラジル日系人のリーダーは、日本政府の支援が十分ではないと嘆いていられた。)
これから大きく飛躍を遂げていくことが期待されている国、ブラジル。
そこに飛び込んだ植木さんの今後に注目!
かつ、多くの若者が植木さんに続くのではないかと思っています。
地球の裏側のブラジル、でもそこには日本人を受け入れてくれる日系人社会が今も存在しています。
(ラーメン屋も焼鳥屋もありますよ!)
僕が旅に出ることを決める前は、
既に多くの人が渡っている中国・インドではなく、
ブラジルで5年ぐらい働こうかと考えたりもしていました。
これから海外で一旗!と思っている人にブラジルは要注目国だと思います。
そんなブラジルに興味がある人は、植木さんのいるサンパウロ新聞社を訪れてみて下さい。
★ブラジル日系人社会を伝えるサンパウロ新聞のネットニュースも要チェック。
http://www.saopauloshimbun.com/
植木さん、ご協力有難うございました!
太田英基
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