シリコンバレー滞在中にお逢いした安田さん。
とても力強いパワーを持っている方で、
見た目もスーツを着こなしていてビジネスマンとしてバリッとしている!
そんな印象を持ったのですが、なんと元はロッククライマーとして活躍されていたそうです。
最初はそのギャップに驚きましたが、
話を伺うと、やはりアスリートな方なんだと思わせられることが多々ありました。
愚直に決めたことを貫き、挑戦を続けていく。
そんな安田さんをご紹介します。
自己紹介とこれまでの歩みについて教えて頂けますでしょうか。
安田 敦史(31歳)
19歳の時、バックパック1つで1年オープンチケットを手に、アメリカに来ました。
当初の渡米目的は、
北カリフォルニアにあるヨセミテ国立公園でロッククライミングをするためだったので、
アメリカに滞在するための学生ビザを取るため、近くの短大へ通い始めました。
ロンゲ、金髪、顔面ピアスを入れていた私の周りには、
勉強がしたくて海外へ来る人や、
自分の趣味の為に海外まで来る人がいなかったので、
この頃に出会った世界中からヨセミテへ訪れるクライマーや、
同じ短大に通う日本人留学生に関わる機会ができ、新鮮な影響を受けました。
私の自己紹介をする上で、
ロッククライミングの話しをするのが一番分かり易いと思うので少し触れますが、
“登る”というこの単純明快なスポーツのお陰で、
今まで感じていた不公平な人生や、
過ごしてきた社会がとても単純に感じれるようになりました。
世界には背が高い人や、低い人、賢い人や、筋肉質な人、体が柔らかい人、体重の軽い人、様々な人が居ます。
登れる・登れないは、その人の持っている素質や才能、運に左右されますが、
登る挑戦をする事に人は平等なんだと学びました。
クライミングを始める前は、
私自身は社会において不幸せな境遇にいると勝手に決め付けていました。
人は社会において平等とは言えない、
お金がないと学校へ行けないですし、
若い頃に馬鹿だと決められた私の成績表は、
将来の可能性をしっかりと否定してくれていましたしね。
その頃に出会った私が、カッコイイと思う大人達は口をそろえて、
“遊びでもいいから何でも本気でやってみなさい、自分の中で納得がいくよ”
と言ってくれましたので、
19歳から26歳の間はロッククライミングの為だけの生活をしていました。
食生活をはじめ、体調管理、トレーニング、ヨセミテで登る為に学校には通っていましたが、
その後27歳頃から社会に対しても挑戦したくなり、
私的に会計学が将来性や柔軟性のある知識だと感じていたので、
大学の専攻をビジネス会計学科にして通いはじめました。
29歳で卒業し、ロッククライミングで学んだ挑戦する姿勢から、
当時Business Week’sの中で最もキャリアが積めると言われていた
“Best Place to Launch a Career”ランキングNo.1の今の会社に就職しました。
Ernst & Young では監査業務をしています。
監査企業は、日本企業に限らず、米国企業の監査も行っています。
弊社の魅力は沢山感じていますが、ロケーションがシリコンバレーにあるので、
世界のIT企業の動きを間近で感じ、トップの方達と仕事が出来る機会も多く、
新しい事を常に感じられる環境も魅力の一つです。
そして弊社は、特に個人の意見やアイデアが非常に反映され易い社風に特色があると思います。
常にチームで働く環境にあり、チームリーダーやパートナーと直接話しをする機会が非常に多く、
小さな事でも自分が感じた事はすぐに話しが出来る環境にあり、
個人個人がチームの一員だと自覚して仕事が出来る事だと思います。
キッカケと言うのは少し違うのかも知れませんが、
子供の頃にテレビでロッククライミングをしている人達の挑戦している姿に感動したからです。
最初にクライミングを見た時は、
なんて無謀な事をしているのだろうと思っていましが、
ヨセミテ国立公園で実際に見た彼らの姿は、
己の限界へ挑戦して行く勇気と覚悟、
そして何よりも挑戦する事の楽しさを全身で表現しているように感じました。
その姿をみてからロッククライミングの虜になりました。
今思うと、日本に私の居場所が無いように感じていたからだと思います。
高校時代の私は非常に勉強が嫌いで、なんとか高校を卒業し、
フリーターをしていた私の将来に何も可能性を感じれなかったからだと思います。
当時は、私自身で壁を作っていたと思うのですが、
高卒の就職先は限られていましたし、
なんとなく20年後にどんな生活をしているか予想できてしまう将来に
納得出来なかったからだと思います。
言語や環境の違いに戸惑う事は沢山あり、慣れるまでに時間は有しましたが、
それ以上に経済的に余裕がなかったので、
大学の授業料を集めるのにとても苦労しました。
小額の奨学金は学校から貰っていましたが、
日本でアルバイトをして貯めたお金と、両親から借りたお金で、
授業料を払うのが精一杯で、
留学中の生活費は沢山の友人に支えられて生活していました。
1万円前後で部屋の半分や、ウォークインクローゼットを間借して暮らしていました。
食事も多くの友人に食べさせてもらっていたので、
私がアメリカの大学を卒業できたのは、
まさに両親と友人のサポートがあったからだと思います。
アメリカの魅力は、年齢や過去の学歴にあまり囚われない事だと思います。
私の卒業した高校は商業高校でしたので、大学への進学は難しかったですし、
周りや私自身、大学へ行くのは不可能だと思っていました。
しかし、アメリカの人達はいくつになっても自分が学びたい事があれば学校に行きます。
今までの経歴に関係なく挑戦出来る事だと思います。
入社して3年目なので、
まだまだ今の私に足りない知識や経験を学ぶ事が当面の目標ではありますが、
今後5年以内は、私の成長だけでなく、
次の世代を成長させられるような監査チームのリーダーが目標です。
グローバルで働く日本人の一人として、
日本人の長所である勤勉さや賢さを世界に示せるような、
米国公認会計士として仕事をしていきたいと思います。
情報社会と言われる世の中で、
中学を卒業した時には自分の人生を図られてしまうような
狭い世界を感じてしまう若者は沢山いると思います。
私も10年前に、まさか私がアメリカで働いているとは想像も出来ませんでした。
自分自身で己の限界を決めず、自らの可能性を信じて下さい。
やりたいと思う事には他人の価値観には囚われず、何にでも挑戦してみてください。
きっと納得する人生が過ごせると思いますし、
何よりも本気で挑戦する事は楽しいですから。
以上、安田さん、御回答有難うございました!
安田さんは上記の文章でもわかるように、本当にストイックな方でした。
しかし、自分が登ると決めた山は登る。
逆に言えばとてもシンプルに自分に素直に生きている方であるような気もしました。
安田さんはゼロから始めることができるのがアメリカ社会と述べていらっしゃいますが、
皆がゼロから始められるということは、厳しい競争がそこには在るはずです。
そこから登っていくのはそう簡単なことでは無いはずです。
それを成し遂げて、
米国優良企業でアカウンティングコンサルタントとして最前線で働く安田さんには、
人知れぬ苦労と困難が多々あったことと思います。
月並みの言葉ですが、本当に凄いことだと思います。
安田さんのように閉塞感に溢れ、
将来への希望を見いだせていない若者は日本には多くいるかと思います。
そんな若者に安田さんの話はヒントを与えてくれているのではないでしょうか?
安田さん、ご協力ありがとうございました!
太田 英基
Ernst&Young, アカウンティング, アメリカ, グローバル人材, コンサルタント, シリコンバレー, ヨセミテ, ロッククライマー, 会計, 海外で働く日本人, 若者, 閉塞感