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サムライレポート

憧れを追いかけてメキシコへ渡って7年。建築設計士、川上 聡氏(LEGORRETA+LEGORRETA)

2011/09/05  

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アメリカの南に位置する国、メキシコ。

メキシコは位置的に北米とも中米とも、どっちとでも呼ばれることがあるそうですが、
僕の中では中米というカテゴリに入れています。

メキシコではカンクン、メキシコシティ、グアナファト等に僕は訪問したのですが、
その中でもメキシコシティには長めに滞在をしていました。

皆さんはメキシコにはどんなイメージがありますか???

僕がメキシコに訪れた時には、
ツイッター上で多くの人に「治安ヤバいのでは?大丈夫なの?」という声を頂きましたが、
メキシコの中で治安がヨロシクないのは北部のアメリカ合衆国との国境エリアです。
メキシコシティは中央に位置しているので、ほぼ旅行者には関係無いと言えるでしょう。

また、治安が悪そうというイメージ以外ですと、
やはりメキシコと言えばタコス!サルサ!ラテン!陽気!マヤ文明!等を連想されるのではないでしょうか。

僕がメキシコに訪れて抱いた感想は、「想像以上に発展している大都会」という点でした。
地下鉄もしっかりと整備され、高層ビルも数多く立ち並ぶ。メキシコシティ圏は人口約1,900万人の人達が生活していると言われるほどの巨大都市でした。

また、メキシコは暑そう!というイメージがありますが、地域によって高低差がある為に異なるのです。
メキシコシティは標高が2,200メートルほどの場所に位置している為に、
涼しい場所でした。(Wikipedia:メキシコシティ)

尚、あまり知られていないのですが、現在世界一の大富豪はビル・ゲイツ氏でもなく、
ウォーレン・バフェット氏でもなく、メキシコの大物実業家であるカルロス・スリム氏
だったり。

そんなメキシコシティですが、
滞在中にお逢いした川上 聡さんにレポートご協力を頂けたので、ご紹介を!
サムライバックパッカープロジェクト始まって初の建築関係の方になります。

自己紹介とこれまでの歩みについて教えて頂けますか?


川上 聡
1979年 兵庫県生
2002年 京都大学工学部建築学科卒業(高松伸研究室)
2004年 京都大学工学研究科修士課程修了(高松伸研究室)
2004年-現在 LEGORRETA+LEGORRETA勤務

私は建築を学び始めてから13年近く経ちますが、
小さい頃から建物や空間について思考をめぐらし想像することが大好きで、
建築が自分の天職になるのがなんとなく分かっていました。

大阪で過ごした高校時代では、
地元の建築家、安藤忠雄さんの建築に憧れていたのを覚えています。
大学では建築学科を迷わず選択し、
高松伸先生の研究室で、建築の哲学、建築設計を一から学びました。

何故、メキシコに渡ったのでしょうか?

建築家リカルド・レゴレッタの下で働くためです。

メキシコとの初めての出会いは大学院在籍時代、
憧れのルイス・バラガンやレゴレッタの建築に触れるために訪れた時のことです。
彼らの建築の空間を実際に体験して、非常に心を打たれました。
メキシコの文化や伝統を背景にしてうみだされた独自の世界観に魅了されたのを覚えています。

レゴレッタと働きたいと決心してメキシコに戻ってきたのは、日本に帰国をしてから一年後でした。
レゴレッタには快く迎え入れてもらえることができました。

もちろんスペイン語はまったくできなかったので、最初の仕事内容は設計ではなく模型制作でした。
模型に従事したのは3、4ヶ月ほどでしたが、進行中のプロジェクトすべてに触れることができ、
そこでレゴレッタの建築が持つエッセンスを学べたような気がします。

元々、海外で働きたいという志向はお持ちでしたか?

自分のスタイルと合った建築家の下で実際に働きながら建築を学ぶというのが
今の仕事を決めた第一の理由なので、必ずしも海外でなくてもよかったのですが、
確かに異なる文化に触れてみたかったというのはあります。

また、他の建築家とは違うことをしてかったので、
ヨーロッパやアメリカ、日本ではなく中南米という発展途上の地域を選んだというのもあるかも知れません。

過去にバラガンやレゴレッタの下で働いた日本人というのは一人もいませんし、
今もLEGORRETA+LEGORRETA事務所では唯一の外国人として仕事をしています。

現在の仕事内容を教えてください。

LEGORRETA+LEGORRETAでは設計デザインを担当しています。

2004年から7年間、メキシコ国内、海外に関わらず、小さな規模のものは個人として、
大きな規模ではチームとして、多様なプロジェクトに関わってきました。
(サンルイスポトシ博物館、グアダラハラ分譲地開発のオフィス、サンドバル邸、韓国済州島ホテルなど。)

現在は、メキシコシティのBBVA BANCOMER本社ビルという
レゴレッタとリチャード・ロジャースとの共同プロジェクトを担当しています。
(※こちらは川上さんが担当した建築物の1つ、写真を頂戴しました。)

メキシコと日本の違いをどういった部分で感じてらっしゃいますか?

気候、言語、文化、慣習などが異なるのは当然ですが、
人々の性格として、一般的に日本人は厳しく、メキシコ人は寛容です。

日本人の方が責任感も強く仕事も速くスムーズですが、メキシコ人の方が自由で創造的だと思います。
メキシコ人と仕事をしていてイライラさせられることは多いですが、アッと驚かされることもあります。

メキシコに来て、一番の困難は何でしたか?

まったく理解できない言語で仕事をするということ。
これは、目の前にある仕事で精一杯になっていたら、気が付いたら自然と身についていました。

もちろん、言葉以外でも外国人ということで苦労することはありますが、気になる程ではありません。

メキシコで働く、生活する魅力を教えて下さい。

仕事の内容は他の国とさほど変わらないように思いますが、
文化や伝統、歴史のある国なので、芸術や建築に対しては比較的理解があります。

また、建築や家具など、決して技術的に高いとは言えないですが、
時間をかけた手仕事で出来上がってくるのはメキシコの良さだと思います。

生活する上での魅力は、いつも快晴で、気候が穏やかで心地良いこと。

今後の予定や将来の夢(目標)について教えてください。

近い将来に独立して自らの設計事務所で設計活動をしたいと考えています。

日本での経験とメキシコでの経験を通して学んだことを実現し、
他の建築家にはない独自の世界観をもって、創造力豊かな建築を設計することができればと思います。

最後に、日本の若者にメッセージをお願いします。

好きなこと、得意なこと、あるいは自分にしかできないことが、
それぞれの夢につながるような気がします。

そして、その夢を見失わず、
それに向かって根気強く闘い続けるのが大切なのではないかと思います。

一度きりの人生、完全燃焼しましょう。

以上、川上さんからの回答になります。

建築と言えば多くの人がヨーロッパを意識するに違いないはずが、
そこで「ヨーロッパやアメリカではない場所」を川上さんは模索していたところが興味深いです。

多くの人が先進国以外の国へ渡ることには険しい顔をする中で、
自らの独創性を磨く為に、
進んで踏み込んでいった姿勢の裏には大きな決断があったのではないかと思います。

しかも、言語もスペイン語という触れたこともない言語だったということですので尚更です。

それらを跳ね除けて、希望していた建築設計事務所での仕事を手に入れ、仕事を認められて、
かつて憧れを抱いた方と共にプロジェクトを行えるほどになったのはとてつもなく凄いことだと思います。

恐らく、多くの方が「憧れの人と一緒に働いてみたい。」と思ったとしても、
それを実現できる人はほんの一握りだと思います。

多くの人が”思う”だけで、その次の”一歩”に踏み込んでいないからではないでしょうか?
川上さんはその”一歩”を踏み込み、今の環境を手に入れたのです。

僕がお逢いした時の川上さんは眩しいくらいの笑顔でした。
メキシコという異国の土地に飛び込んで約7年が経った現在、
同僚の方々と語り合っていた時の川上さんの顔には、どこか自信に満ちた表情が見えました。

川上さんのように、
高い志と行動力を持った日本人がきっとこれから海外に飛び出ていくことを願っています!

また、近々独立をされたいという川上さんの今後にも要注目です。

以上、川上さん、レポートご協力有難うございました!

太田 英基

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