ルワンダというと、『ホテル・ルワンダ』という映画を観たことがある人は多いのではないでしょうか?
僕自身もホテル・ルワンダの中のルワンダしか、訪れる前は知りませんでした。
1994年の大虐殺をテーマにした映画でした。
ですので、17年経過したとはいえ、治安面に対して不安を感じていました。
しかし、訪れてみると驚いたほどに治安も悪くは無い印象でしたし、
道路や移動などのインフラは隣国ウガンダと比べ物にならないほど良好でした。
虐殺報道やホテル・ルワンダによって、一度ついた悪いイメージというのは、中々取り除くのに時間がかかるものなのだと実感しました。
今ではマウンテンゴリラツアーが人気で、観光業などにも力を入れているようです。
あ、ちなみにルワンダは東アフリカの国です。アフリカの国々は中々日本人からすると身近ではないので、
アフリカのどの位置にあるんだろう?とか、イメージできない部分が多いと思います。
ルワンダについてはコチラ(Wikipedia)でどうぞ。
そんなルワンダの首都キガリで働く三戸俊和さんにお逢いしたので、レポート作成に協力を頂きました!
三戸さんは環境分野のスペシャリストとして、ルワンダ社会に様々な提案と実際の改善業務を行われている方です。
アフリカのルワンダに来る前は、
10年ほど法律屋として日本の環境省に勤めていました。
その際に、運よくカナダの大学院に留学させてもらえる機会があり、
そこでアフリカの貧困などの問題について、
日本よりはるかに頻繁にテレビや新聞などから情報を得ることができ、
環境保全の切口からアフリカの貧困対策に貢献してみたい、
と思うようになったのが今に至るきっかけです。
当初は国連開発計画(UNDP)ルワンダ事務所の環境ユニットにポジションを見つけ、
2007年3月にルワンダにやってきました。
その後、紆余曲折がだいぶあるのですが、
現時点で、引き続きルワンダに滞在し環境保全の分野の支援を主に政府を対象に行っています。
2012年3月に、ルワンダ滞在は5年になります。
「ルワンダの首都キガリ市のゴミ捨て場の状況がひどいので、何か対策を考えてくれないか」
という個人的な依頼が、2007年にルワンダに来て早々にルワンダ環境管理庁(REMA)の長官からありました。
それを踏まえて廃棄物最終処分場の改善や、
政府の廃棄物管理体制の改善などを目指したプロジェクト案を作成し、
資金(3 million USD)を確保し、大臣など関係者の同意を得るのに2年ほどかかりました。
そして、プロジェクトが成立しても、
きちっと執行の段階を立案者自らがチェックしないと、
当初目指したものと全然違う事業が行われてしまう危険がここではあることを2年間で学んでいたので、
「執行の目処が立つまでもうちょっと残らないといけないなぁ」と判断し、引き続き居残っています。
ただ、説明は端折りますが色々ありまして、
現時点では最終処分場の改善事業は純粋にボランティアとしてサポートしています。
正式な肩書きとしては、全然違う分野ですが気候変動のコンサルタントとして、
ルワンダ政府の気候変動対策を支援しています。
また、こちらもほぼボランティアですが、
カナダの専門家と一緒にアスベスト除去の国家計画の策定を行ったり、
小さな大学で環境学の講義を受け持ったりしています。
廃棄物最終処分場の方は、
週に何回か現場を訪れて、重機の使い方を指導したり、
生ゴミから発生するメタンガスの濃度を計って爆発のリスクを抑えたり、
新しい処分場建設の詳細設計をするコンサルタント会社の作業を手伝ったりしています。
別に聖人ではないので、仕事に対してきちっと対価が欲しいところなのですが、
そこを日本のようにきちっと要求するとここには居続けることができないので、妥協しながらやっています。
といっても、今よりは安定した身分で支援を続けられるよう、現地に残りつつ就職活動中ではあります。
サブ・サハラ・アフリカ(※)共通の課題だと思いますが、
「支援は外部の人が訪れて全部やってくれるもの」という意識が、こちらの行政官には多いです。
ですから気をつけないと、せっかく事業自体のアイディアが良くても、
外国の専門家に頼り切りになり、専門家が居なくなった途端に状況が元に戻って、
それまでの努力が無駄になる事例が多くあります。
そのようなルワンダ側の意識をどう改善し、
特に事業期間終了後にルワンダの関係者が継続して適切な活動を、
技術的にも資金的にも自らで続けられるかどうかが大変重要で、かつ克服が難解な課題です。
正直、この困難をきちっと乗り越えられたら私の関与はもう不要ですし、
ルワンダに居座る必要はないと思っています。
また、この点を克服するノウハウがきちっと蓄積すれば、
今のようにアフリカへの援助が何十年も続けられることはないでしょう。
ですから、この「強度の依存体質」という課題をどう乗り越えるかについて、
現在引き続き努力中+試行錯誤中、というところです。
(※サブ・サハラ・アフリカとは、アラブ系の多い北アフリカを除いたサハラ砂漠以南のアフリカを指します。)
日本では主に環境省、
一時期は内閣総理大臣(当時は小泉さんや安倍さん)を補佐する内閣官房ということろで働いていました。
その際も「現場を大切にする意識」は大事にしていたつもりですが、
現実の仕事はどんどん現場から離れていく気がして落ち着かない日々でした。
これに加えて環境保全の観点から途上国支援をしたい、
という思いは大学生の頃から持っていたので、
「せっかくだったら何でも社会問題がそろっているアフリカで、
かつ、環境問題に取り組むことのできる現場を見つけて働いてみたい」という希望が強くなっていました。
幸い、日本政府が支援して国連に若手を派遣するJunior Professional Officer(JPO)という
制度に応募して選ばれたので、最終的にアフリカに行こうと決意した次第です。
ですから、海外勤務の経験はほとんどルワンダで、
あとはアフリカの他国でごく限られた経験があるのみです。
大学生のときに何を将来したらいいかなぁとは漠然と考えていて、
その当時の結論は「環境保全の観点から途上国支援に関わりたい」というものでした。
結果的にそれが海外で働くということに発展しましたが、
途上国との関わりがあれば、拠点が日本であるか海外であるかは、今でもあまり気にしていません。
アフリカ全体についての答えは私の知識が乏しすぎてできません。
ただ一般に、政治の安定が続けば経済発展は進むと思いますし、
今はそういう局面の国がアフリカでは多いと思います。
またどこの国でもそうですが、経済発展が一定程度進めば、
内戦を起こすよりはビジネスで一儲けした方が得、という流れになっていくでしょう。
あきらかに今のルワンダでは、
その「ビジネスを進めた方が得」という声が国民の間に強いと思います。
ただ、確か2017年に大事な大統領選挙があり、
現カガメ大統領の後任をどうすべきかが議論されることになりますので、
ここで後継者の擁立が滞ると、いくつかのアフリカ諸国で政情不安になっているように、
ルワンダでも政治・経済が悪い方向に進んでいく危険はあると思います。
ここ数年は、よっぽどの事情がない限り、
政治状況は比較的安定的な状態が継続し、経済発展も進むと思います。
ご存知ないかもしれませんが、
ルワンダは1994年には大量虐殺が発生したことで有名ですが、
小さい国ですから、ある程度の知識さえあれば、
その知識を関係大臣に1人で売り込んで実現を目指すことも可能です。
(例えば、私が行ったアスベスト除去国家計画の策定のように。)
そういう意味では、日本で出来ることとはまた違った仕事のやりがいがあります。
なお、『ホテル・ルワンダ」などの映画だけでルワンダをご存知の方には意外でしょうが、
現在ルワンダはアフリカで最も治安の良い国の1つと言っていいと思います。
赤道のすぐそばですが標高が高いので(首都キガリ市は約1400m)、気温も常に摂氏20度前後で快適です。
経済発展で店舗やレストランも徐々に充実してきており、生活はしやすい場所だと思います。
個人的にも、「都会のサービスはあるけれども基本的には田舎で自然も残っている」程度の位置にあるキガリ市は、住んでいて心地よいです。
もうルワンダに5年近く住んでおり、
こちらの「先の見えない生活」に慣れてきてしまったため、今後のビジョンをきちっと描くのは大変困難です。
別の言い方をすれば、
「先が見えない生活に不安を持つようではアフリカに長くは住めない」ということだと思います。
ただ、せっかくこうやって住んでいるわけですから、
新しいゴミ処分場をきちっと建設して長期的に回るシステムを作るとか、何らかの結果は出したいと思います。
その後は、アジアも含めた他の途上国で活動するとか、日本の若者をもっと海外志向にするとか、
やりたいことはいくつかアイディアではありますが、具体性は今のところ無いです。
あと数年はこちらにいて、まずは成果を出すことに集中することになると思います。
まず、「海外に興味を持つべきかどうか」といった次元での検討は止めた方がいいと思います。
人口が減っていき、高齢者が増えていく日本において、
中国を中心とした海外との関係を無視して、日本の将来はありません。
ですから、海外だろうと日本だろうと、必要なときにいつでも住んで仕事が出来る、
ということが当たり前のようになる社会を若い人が造っていかないといけないと思います。
そして、そのような社会変革が行われると、
仕事の仕方に常に変化が生じるので、終身雇用は難しくなるでしょう。
そこで道を切り拓くには、何らかの形で「専門性」を高めることが大事だと思います。
別の言い方をすれば、「自分を説明するストーリーを持つ」ということでしょう。
偉そうなことを言って現在は安定職を見つけるのに大変苦労しているので、あまり説得力がないかもしれませんが、
それでもルワンダに残って、ボランティアでも環境政策や関連事業についてアドバイスが出来ているのは、
「彼はずっと環境問題に携わってきており、経験・知見を持っている」と、
ある程度認められているためだと思います。
どういう分野でもいいので、
「私はこの分野に興味や知識・経験がある」ということをしっかり言えるようにすることが
これからますます大事になってくると思います。
そして、「自分は○○の組織に勤めている」といった自分の中身の説明につながらない点は、
あまり人の評価において重要ではなくなってくると思います。
「自分の専門分野はXXで、今それを求められているのはアジア(あるいはアフリカ)で、
なので、しばらくの期間はアジア(あるいはアフリカ)にいます。」
といったことが気軽に言えるような柔軟性を鍛えておくことが、
今後の処世術で大切になってくると思います。
ですので、「自分の納得できる自分自身のストーリー探し」を、若い頃から始められると良いと思います。
(私も、まだ若いと思っているのでストーリー探しを継続中です。)
なお、上記に関連した考え方や、ルワンダの生活ぶりなどについては、
次のページからアクセスできるMonthly Rwandaで報告していますのでご参考まで。
http://angelbean.net/rwandaco_rwanda.htm
三戸さんは僕を廃棄物最終処分場に連れて行ってくれました。
そこにはゴミで造られた大地で生活するスカベンジャーと言われる人達が住んでいたり、近所の子供達がその日の夜に調理に使う為の燃料として、紙類など燃焼できるモノをゴミ山から発掘していたり。
なかなか日本でみることの出来無い光景がそこにはありました。
三戸さんは頻繁に通っている為に、彼らからも認識されていて、信用されているようでした。
元来の滞在期間を越えて、自らのキャリアを大幅に変えて、現地の人との交流を大切にし、アフリカの大地への挑戦と、社会への貢献を掲げる三戸さんだからこそ、彼らからも信用されているのではないかと思えました。
そして三戸さんの話から学べることが多過ぎて…
特に印象に残る部分は、
“「先が見えない生活に不安を持つようではアフリカに長くは住めない」”という部分。
誤解してはいけないのが決して、「先を気にする必要が全く無い」というわけではなく、
「突如の変化にも恐れず、臨機応変に対応をしていく姿勢を持つこと」だと解釈します。
これはアフリカに限らず、
日本においても変化を恐れずに対応をしていくことは、強く求められているのではないかと思われます。
また、“「海外に興味を持つべきかどうか」といった次元での検討は止めた方がいいと思います。”という、
三戸さんの言葉には大変考えさせられます。
時代は変わったのだと旅をしていても実感できます。
ルワンダで今もなお、奮闘されている三戸俊和さん、ご協力有難うございました!
太田英基
アスベスト, アフリカで働く日本人, キガリ, グローバル人材, ジュニアプロフェッショナルオフィサー, ルワンダで働く日本人, 国連, 廃棄物処分場, 政府, 海外で働く日本人, 環境分野, 環境省, 行政