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サムライレポート

競輪プロを経て渡米し、自転車職人への転向。つかう側からつくる側へ。案浦 攻氏(Samurai Cycle Works,LLC代表)

2011/10/06  

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僕が中米から南米へのフライトの経由地点として、ヒューストンに行った時のことでした。
ヒューストンで働いている日本人の方はいないかなと探していたところ、
インターネット上で案浦さんの活動を知りました。

元々は日本でプロの競輪選手をしていたのを引退し、
今では逆に自転車をつくる側というお仕事でビジネスを始められているという…!

しかもアメリカのヒューストン。

これはとても興味深い!ということで、
コンタクトをして少しだけヒューストンでのお時間を御一緒させて頂きました!

自己紹介とこれまでの歩みについて教えて頂けますか?


私は博多出身、中央大学を卒業後、
17年間プロの競輪選手として、日本全国を飛び回っていました。

当時の最高クラスのS級1班に在籍、ワールドカップでも入賞経験があります。
競輪選手としては成功したほうだと思います。

妻は、アメリカから私の地元の大学に交換留学生として来日した時に知り合い、
結婚して16年になります。現在5歳と7歳の息子がいます。

現在の仕事内容を教えてください。

まず、アメリカでの職歴から書いていきたいと思います。
アメリカに移住した直後、中央アジアで自動車販売業をされている日本人から、
アメリカから車の定期的な輸出依頼を受けました。

これはチャンスだと思い、すべての時間をリサーチに費やし、
いつでも輸出準備完了という状況になって、
オーダーは受けたのですが決済するにいたらず、徒労におわりました。

その後も、いろいろな仕事の可能性を探ったのですが、
まずは出来ることからと思い、地元の大手自転車店にメカニックとして就職。
給料はたいしたこと無いですが、アメリカ社会を肌で感じることが出来、大変楽しかったです。

1年半が過ぎたところで退職、台湾の工業製品の日本への販売を手伝いました。
日本への営業は、すべて任されましたが子供に手が掛ることもあり、
日本への出張等ままならず、断念。

その後自宅で出来る仕事は何か無いかと模索していたとき、
競技用、サイクリング用自転車のフレーム製作を思い出しました。

これなら、私の経験が生かせ、自宅のガレージを作業場にすればやっていけるのではないかと…。

私が製作する自転車は、オーダーメイドのスーツのようなものです。
まず、オーダー主の体の採寸、自転車乗車フォーム、使用部品、その他希望の特殊工作等を聞きます。
それを元に、フレームをデザイン、その後、スチール、ステンレス素材を溶接、塗装。
そして、好みの部品を組み付け。
自分だけの、一品モノの自転車が完成します。

いままでに、40台以上の自転車フレームを注文したことがありますので、
大体の流れは知っていましたが、実際に作ったことはありません。

どこかの製作所に弟子入りしたいところですが、近所にはありませんし、
小さな子供が二人いる状況で、単身赴任は到底無理です。

以前、ネットサーフィン中に偶然見つけた、アメリカ、コロラド州で、
フレーム製作スクールを主宰している日本人フレームビルダーの方に教えを請い、
日本在住の先輩ビルダーにメールで教えを請い、どうにか製品が出来ました。

ところが、独り立ちするのに最低5年の修行が必要と言われる職人の仕事を独学でするのはとても難しく
頭を抱え込むことも多々あります。
 (たとえて言うと、高級フランス料理店の顧客であった私が、
いきなりオーナーシェフになって、レストランを開くようなものです。)

しかし、現在ではインターネットの普及で、ビルダー同士がネット上で情報交換が出来ます。
ネットで調べれば、作業上の疑問点が解決できなくとも、大きなヒントを得ることが出来ます。
インターネット無しには、私がフレームビルダーを目指すことは無理だったと思います。

アメリカには200とも300とも、いわれる独立系のフレームビルダーがいます。
全米4位の大都市ヒューストンですが、ビルダーは私のみです。
これも、この仕事を始めた一因です。

少しずつ名前も知られるようになり、修理、製作の依頼が入ってくるようになりました。
地元密着型の自転車フレーム製造メーカー(Samurai Cycle Works,LLCを目指しています。

しかし、メールや顔を突き合わせての依頼は問題無いのですが、
電話での依頼は、私の下手な英語のせいで不安を抱かせ、仕事を取るのは難しいです。
電話の受け答えは日本語でも苦手なので、英語では尚更です。

自転車に乗る側から、つくる側・売る側になっての変化や気づきはありますか?

製作する側になって、競輪選手時代は、無理な注文を当たり前のようにしていたことを反省しています。
反面、その厳しい注文に正確に答えてくれる日本のフレーム製作者の技術力の高さには驚かされます。

日本のハンドメイドメーカーには、緻密な工作、精度、仕上げが要求されますが、
アメリカでは芸術的な装飾や、新素材を使用した製品が喜ばれる
ようです。
細かい仕上げは、あまり要求されません。(高度な仕上げを見たことが無い人が多いようです。)
しかし、やはり綺麗な仕上げが施された製品は、洋の東西を問わず喜ばれます。

何故、アメリカに渡られたのでしょうか?

妻が、日本社会ではアメリカ人女性が企業の中で活躍できないことや、私たちに二人目の子供が生まれてから、
日本での子育てに不満が募り、アメリカに戻ることを決心しました。
家族が太平洋を隔てて生活するわけにもいけませんから、あまり難しいことを考えず、思い切って飛び込んだ次第です。

当時40歳でしたから、年齢の区切りも良く、競輪選手としての気力は充実していましたが、
体力の衰えは感じていましたので、「今行かなくて、いつ行くんだ?」の心境でした。

最後まで、全力でレースを走りましたが、競輪選手を引退することには未練がありました。
燃え尽きるまでレースを走りたかったですが、余力を残して引退しないと、
次の仕事が出来ないとの考えもありました。
    

元々、海外で働きたいという志向はお持ちでしたか?

アメリカで働きたい、生活したいという憧れはありました。
しかし、ただの憧れですね。
子供のころに見た映画コンボイで、アメリカ大陸の大きさに魅了され、
学生時代はアメ横でアメリカンファッションに影響されていましたから、アメリカに対して憧れはありました。

その一方、博多の祭りの中で育ち、中学生のころから体育会系で育っていますから、
先輩後輩のややこしい社会関係も苦になりません。 むしろ、日本の文化は大好きです。

アメリカと日本の違いをどういった部分で感じてらっしゃいますか?

日本は、日本の文化!という決まったものがあります。

しかし、ここヒューストンは世界中からの移住者が、ごちゃまぜになって暮らしています。
従来からのアメリカ文化をベースに、自国の文化をアレンジした人々の集まりです。
一言では、言い表せません。

移民一世は民族による傾向は感じられます。
顔つき、言葉遣いにより移民一世かどうかを判断し、それによって相手の行動を予測する部分はあります。

アメリカ人は、みんな良くしゃべります。
知らない者同士でも、すぐに長話になります。
この、コミュニケーション能力の高さが、社会の潤滑油になっている気がします。
ものすごくプライベートな話も、平気でします。結果、心のストレスも低いようです。

自己主張は強いといわれますが、一般の生活では、そう感じません。
思いやり、譲り合いの精神は、非常に高いです。

現在の仕事で、大切にしていること(考え方)を教えて下さい。

私は、日本人なんだということを常に意識しながら、誇りを持って仕事をしています。

日本人は頭がよく、完璧な仕事をするというイメージがありますので、(あるらしいので)
自分で勝手にプレッシャーを感じて苦しいこともあります。
しかし、日本の一流工業製品のおかげで、胸を張って日本人と言えることに先人へとても感謝しています。

アメリカの変わった商習慣があれば教えてください。

近年は減ってきたとはいえ、個人小切手をスーパーでも、どこでも使えることですね。
それから、たとえば不動産売買契約書は、一応ひな型がありますが、
内容は、ほとんどオーダーメイドのような自由な契約を双方で作り上げます。
決済の方法なども、いろいろな方法があるのに驚かされました。
これは、個人の住宅の売買でも同じです。

また、各従業員の責任で任されている範囲が大きく、やりがいを感じやすいと思います。
たとえば正札が外れてしまった商品の値段設定をマネージャーなしで新入社員が決めたり、
高校生のアルバイトが遊園地内で車を運転してツアーガイドをしたりします。

いろいろな事業計画も綿密ではなく、穴だらけですが、想定外のことが起こっても、
それも想定内かのように、解決する能力が高い
です。

よほど大きなお金が動く業種以外では、家族の用事で堂々と、早引き等スケジュール調整が出来ます。
社員同士がお互いに仕事を融通しあって、休暇を取っています。
夜に、仕事先、同僚と飲みに行くことは、まずありません。

アメリカに来て、一番の困難は何でしたか?

英語に始まり、英語で終わるといった感じです。
出来るだけ多くの人と話し、机に向かって単語を覚え・・・,
と当たり前のことを、当たり前に気長にトレーニングするしかないです。

移住当初通った、アメリカのカレッジの英会話講座の先生から、
「英語能力が高まることによって、収入が高まる」と言われました。その通りです。
よほどの特殊な才能、技能がない限り、英語力は絶対です。

もっと英語力があれば、私が活躍できる場も広がるのに・・・と思いますが、
これが、英語圏での自分の実力だと理解しています。
そういった意味での、忍耐力も必要ですね。このことは、移民の人は良く口にします。

英語について

「インターネットネットで疑問を解決」と前述しましたが、フォーラムはすべて英語です。
世界中の英語圏のビルダーが情報を交換し合っています。
いやでも、苦しくても、英語は大きなツールです。

よく、英語圏旅行者が、英単語を並べれば意志の疎通はできるといいますが、私はそうは思いません。
発音が悪ければ、何回言っても通じません。 発音は、想像以上に重要です。
その発音に、お国なまりがあってもいいんです。
要は、中学生の時に習ったように、舌をはさむ発音の時は、面倒でも舌をはさみ、
口を横に開く発音は、口を横に開かないといけません。
そうやって、発音すると、アメリカ人の発音と似ていないように感じても通じます。

アメリカ(ヒューストン)で働く、生活する魅力を教えて下さい。

ヒューストンに限って言えば、オイルビジネスで潤った広大な街に、
現在でも、たくさんの人々が移り住んできています。

人口が増えるということは、ビジネスチャンスも増えるということです。
全米の景気は悪いですが、ヒューストンはその中でも、不景気の影響を受けていない土地の筆頭です。
確かに夏は蒸し暑く、観光名所も少ないですが、安定した景気と、変に肩に力を入れることなく、家族を中心とした生活ができるのが魅力です。

また、アメリカは、製品の機能として如何なものかと思われる奇想天外なものを作っても、それを認める土壌があります。
私は比較的保守的な製品を正確に、美しく仕上げることを目指していますが、
思い込みを捨てて、自由奔放な世界に走ったほうが幸せかなあ、と感じることもあります。

今後の予定や将来の夢(目標)について教えてください。


まずは、お客さんに満足してもらえる製品を作ること。

子供に手がかからなくなったら、自分の路面店を持ち、
あの頑固ジジイと話すのも面白いな・・・といわれるような職人になりたいですね。
それと、日本とアメリカの間で、特にジュニア選手の自転車競技の交流の手助けがしたいです。

最後に、日本の若者にメッセージをお願いします。

日本は良い国です。 私も大好きです。

しかし、一度きりの人生です。
外に出るのは、面白いです。(国内産業の空洞化とか難しいことは言いません。)
苦しいこと以上に楽しいことがあります。

将来、定年したら・・・とか言っていたのでは、まず無理です。
手かせ、足かせのない、今行きましょう。 

知り合いが弁護士になり、少ない自己資金で事務所を開き、10年の歳月を経て、
いわゆる本物のマンションに住んでいます。

また、ある知り合いが、本業の傍らで、
庭に落ちている犬のフン拾いのビジネスを全米にフランチャイズ展開しています。

ヒューストンは、アイデアがあれば比較的少ない資金で、大きなビジネスができる可能性の高い街です。

ビザの問題もあるかと思います。
しかし、日本人以外の膨大な数の移民の方々が住んでいるのも事実です。
家族との時間を大切にした生活をしたい人はもちろん、
ビジネスで活躍したい人にも大きな可能性を持った街だと思います。 

外に出れば、日本の良いところを再確認できますし、至らないところも見えてきます。
青臭く聞こえますが、明るい日本の未来を築くには、外の世界を肌で感じてきた志ある若者が、いつの時代でも必要です。

以上、案浦さんのご回答になります。

自転車をつかう側から、つくる側への転向も初めて。
日本ではないアメリカで仕事をするのも初めて。

そんな全くもって新しい環境の中でも、
笑顔で家族を支えて盛り上げていく案浦さんのパワフルさには驚きました。

案浦さんがインターネットのおかげで、
従来は最低5年かかると言われていた時間を短縮することができたと仰っているのは大変興味深いです。

確かに、特定の師匠からしか教わることの出来なかった情報や経験も、
今ではインターネットの普及によって世界中の人と、情報や課題を共有し、
以前よりも容易に学ぶことが出来るようになってきている
のでしょう。

こうなると、「ベテラン職人の仕事だから」と半ば諦めていたような仕事ほど、
チャンスが眠っているのかもしれません。
これもインターネットがもたらしたイノベーションの1つなのかもしれません。

しかしながら、インターネットで得た情報では、誰かが目の前で指導してくれるわけではないので、
ヒントを基に手探りで試行錯誤の繰り返しだったのではないかと思われます。
本人の死に物狂いの努力が伴わなければ実らせることは難しいのでしょう。

自転車をつかう側のプロフェッショナルであった案浦さんは、
これからは自転車のつくり手のプロフェッショナルとして、
そして日本人として、世界に向けて素晴らしい自転車をつくり続けていくのでしょう。

元スポーツ選手としての体つきは勿論、
ハートも非常にエネルギッシュな案浦さんのこれからに期待大です!

案浦 攻さん、ご協力有難うございました!

太田英基

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